めっさええ本やんかいさー【読書感想文】町田康・岩崎了『口語 古事記』
Audible。
『ギケイキ』を挫折したので、読破できるか心配だったが、Audible を選んで正解だった。
岩崎了さんの朗読がめちゃくちゃうまい。
すかした関西弁で、落語というか、ずっと一人でノリツッコミしているような感じだが、緩急や呼吸がすばらしい。
神様がみんなチンピラやヤンキーみたいで、戦時中だったら不敬罪になってたかもしれない。
もちろん町田さんの解釈と話術あってこそ。
古事記をありがたい、高尚なものとしてでなく、「何やっとんねんこいつら。アホちゃうか?まあでもおもろいやないかい」という視線で語り直し、その精神を汲み取って朗読する。最高だ。
朗読者によっては小説がアニメやマンガのように思えてしまったり、登場人物に色がつきすぎてしまっていたり、その上テキストを確認できないこともあり、電子書籍の無機質な読み上げの方に軍配を上げかけていたので、朗読の良さを見直すとてもいいきっかけになった。
朗読込みで97点。
しかしそうなると、以前『おらおらでひとりいぐも』について書いたことと辻褄が合わなくなる。
この作品は、老女の東北弁によるダイナミックな語りが大きな魅力だが、うまい朗読者の手にかかると、ふつうの老女のふつうにナマッた一人語りに聞こえてしまい、黙読することで得られた新鮮さや感動が得られない、という問題があった。
関西弁と東北弁の違いじゃない。
著者・朗読者の性別の違いや、巧拙の差でもない。
理屈をつけるなら、読まれることを目的として書かれた純文学と、大昔の聞き書きを口訳したものとの違いだろうか。
以前、流暢に英語から日本語への通訳をしていた人が、紙に書いたコメントを訳すように求められた途端にたどたどしくなってしまった、という場面に出くわしたことがある。
文章と語りとの間には、同じ言語でもとても深くて広い隔たりがあって、本来容易に変換できないものなのかもしれない。