情報と想像の量は反比例する【読書感想文】于晓威《午夜落》(2014)
先日取り上げた、中国の短編小説。
10年ほど前に入手した、大連の文芸雑誌に載っていた作品だ。
ジャンルも作風も筋も分からなかったが、ひとまず筋は判明した。なぜなら、読み終えたからである。
持って回った言い方になってしまったが、昨今、筋はおろか、ジャンルも作風も、著者がどういう人なのかもわからずに小説を読む、などということは、そうあることではない。
なかなか興味深い読書だった。
深夜の喫茶店に現れた主人公の男。店内には若い女がひとりいる。次に男の同僚が現れ、そして若いカップルがやってくる。
同僚との間には、職場で何らかのトラブルがあるらしく、緊張感のあるやり取りが交わされるが、何が問題なのか具体的には明らかにされないまま(あるいは私が読解できないまま)、同僚は何も注文せずに立ち去る。
やがて雨が振り始め、傘のないカップルが困っていると、主人公が自分の傘を貸そうと持ちかける。カップルの男はその傘を借りて、女を残したまま近くにある女の家まで行き、傘を2本持って戻ってきて、主人公に礼を言って傘を返し、カップルは相合傘で店をあとにする。
しばらくして主人公は「待てよ」と考える。
カップルの男は、まず借りた傘で女と一緒に女の家に行き、1人で傘を2本持って引き返し、主人公に傘を返せばよかったのではないか。そうすれば女を店内に1人で置き去りにせずにすんだはずだ。あるいはここに戻ってくるための「希望」として、恋人を残しておいたのか?
そして主人公は勘定をしようとして、ふと、自分が来る前から店にいた若い女のコーヒー代も一緒に払おうか、いや、それは失礼だろうか、と迷う。
しかしこの考えはまったく的外れだったことが判明する。
ストーリーは以上だ。
さて、気になったのは傘のエピソードだ。カップルの男の判断は間違っていたのだろうか。
傘一本で二人で移動するよりも、一人のほうが断然早い。
カップルの男は、身内である女を置き去りにしてしまう気兼ねよりも、親切にしてくれた見知らぬ主人公に早く傘を返すことを優先したのではないか。傘を返さないと、主人公も店を出られないからだ。
あるいは、先に2人で店を出ていったのでは、そのまま傘を返しに来ないのではないかと、主人公に不安や疑いを持たせることになりかねない、と考えたのかもしれない。
あるいは主人公が考えたように、男は再び店に戻ってくるための「希望」として、女を残していったのか。
この傘の問題にせよ、職場での問題にせよ、女のコーヒー代を出そうとした理由にせよ、この街の経済と治安の状況など、わからないことはいくつもある。
この著者の他の作品にも通底するテーマがあるのかもしれないし、連作なのかもしれない。
わからないことだらけだ。
しかしながら、ひとつはっきりしているのは、わからないことが多いということは、考えることが多いということだ。
情報と想像の量は反比例する。
私が海外文学や古典を好んだり、ネタバレを嫌うのは、これが理由らしい。