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私と読書感想文

 北国ではどうやら夏休みが終わったようだ。日中の時間帯にあちこちで見かけた子供たちの姿が見えない。学校がはじまり日常が戻ってきた証拠だ。我がコインランドリーでも子供連れの客は見なくなった。教育現場ではこれから2学期とよばれる長い長い退屈な時間がはじまるのだろう。

 夏休み中、しこたま楽しい毎日をすごし、ゲームやスマホのような秘密道具が手を伸ばせば届く距離に常にあり、お腹が空けば自由にお菓子やジュースをたらふく飲んでいた甘々な環境から意を決して抜け出さねばならない。あきらかに家の方が快適になってしまった。制限のかかる場所で好きでもない人間たちが同じ地域に住んでいるからという理由でたまたま集められた空間にそれなりに我慢して座ったり立ったり指示を聞いて動くのは、自分達が生きてきた時代よりも大変なことなのだろうと思ったりする。始業式であろう久々に登校するランドセルを背負った小学生や、制服姿の中高生をみると「君たちは素晴らしいよ、頑張っているよ」と声をかけたくなる。「今日は始業式かい?何年生?気を付けていってらっしゃいね」と声をかけると“不審者からの声かけ事案”となってしまうようだから、ドラえもんのようなあたたかい目を向けるくらいしかできないけど…。

 聞くところによると、夏休みの工作や読書感想文は選択性になったようだ。親族に学校関係者が多いのでよくその話をする。やりたい人はやっていい、あるいはこの中から1つ選択して取り組むこととしている学校が多いそうだ。私の時代は夏休みのドリル、ひとり勉強ノート1日1ページ以上、自由工作(あるいは自由研究)、読書感想文、絵日記(花や野菜の観察日記)、おてつだいチェックシートをすべてやることになっていた。いま思えば本人よりも見守りやら監督する親の負担はかなり大きいものだったろう。中高学年になると家庭科の宿題は家族のために料理をしてみようチャレンジなどといって作った料理(あるいは弁当)の写真とコメントを書く用紙を渡された記憶もある。

 私の両親は高校の教員で、母(国語)父(理数系技術)である。そうなるとどうなるか…読書感想文と工作・研究の気合いの入りようが一般人とかなり差があることを想像してもらえるだろうか。夏休みのドリルやひとり勉強ノートなどどうでもいい、そんなものははなから彼らの眼中にない。

 母は書店に行き、子供の実学年よりもレベルの高い本を買い与え、なかば強引に読書させるのだ。姉・兄・私の三きょうだい全員容赦がなかった、本当に大人げない話だ。それでも母推薦の本はさすが国語教員、どれも面白かったのを記録している。しかし、読めば終わるというわけでは当然ない。

 原稿用紙を目の前におかれ、まず自分の思った感想を書き出してみろと言ってくるわけだ。文法などは気にしなくてもよい、なんとなく浮かんだものでいい、完全な文章になってなくてもいい、順番も気にしない、思い付いたことからどんどん書いていけという。目の前には目をギラギラさせた母親が前のめりで頬杖をついて待っている、もうそれは見守る親の目ではなく、プロフェッショナルとしての目をしている。小学生にとってこの重圧は相当なものであるとお察しいただきたい。箇条書きなっていればマシなほうで、表現の仕方がわかなくて話し言葉だったり、浮かんできた単語だけを書いてみたり、その度に母の目がひとまわり大きくなったりうなずいたり、首をかしげたりするのビクビクしながら必死に考えた。まるで銃口を向けられながら必死にバラバラにされた銃をいちから組み立てる傭兵?暗殺者の訓練のような気分だった。引き金を引く前に組み立てねば打たれるという、極限のサバイバル教育だ。

 それからプロフェッショナルによる尋問がはじまる、もうそれは圧迫面接である。どうしてそう思ったのか、この部分はどういうことなのかをどこまでも深く掘り下げられていく。あからさまに反論されたり否定されるわけではもちろんないが、自分の思考や意見についてどうしてそう思ったのかを言葉で説明するのは大人であっても大変なことだ、当然ふわふわした表現しかできるわけがない。かといって直接的な言葉で教えてくれるわけではない母は、私の中に眠っているであろう言葉たちを引っ張り起こそうとさらにこじ開けてくるのだから、子供にとっては勝手に侵入してくるモンスターのように思えて恐怖だった。

 専門家にある程度ご納得いただけると、圧迫面接が終わる。生存本能から絞り出した数々の言霊たちのネタ帳を眺めながら、「このバラバラになっているパズルを同じお山に分けてごらん」と言われ、同じ文脈にのせるものを複数のお山にまとめていく作業になる。これがとても楽しかった、気持ちがよかった。まとまりがなくバラバラな状態のままではとてもじゃないが不快だったし気持ちが悪い、落ち着かないものだったが、同じもの似ているもの同士をくっつけて分けていくと頭の中がどんどんすっきりしていくのを感じた。足の踏み場もなく散らかった部屋が、床がみえてすっきりと整理されたきれいな部屋になっていくのを体感しているようだった。お山に分けるという作業がとても上手だったのか、専門家の目はとても生き生きと私を見ていた、褒め言葉をもらえるわけではないが感心したようなオーラを感じてとても誇らしかった記憶がある、専門家に認められたのだと胸をはれた。

 そこではじめて文の書き出し部分や、最後の締めくくりのセオリーを教えてもらい、いよいよ母がぐいぐい介入してくることになる。母が書きたいことをさりげなく入れてくる姿は、全く大人げない。自分のプライドが許さないというものよりかは、完全に自分が楽しくなっちゃったパターンだった、目がイキイキとしてひとりでしゃべっているので呆気にとられながらも必死に母の見解を聞きメモを取る。そこ!?え??と驚くさすがの着眼点だし、自分の頭と心の中にあったであろうものがイキイキと多彩な表現になって自分に返ってくるのだ。あまりに素晴らしいものだと私の感想文じゃないということになるので、わざとレベルは落としているものの、そうやって言語の世界は広くて力強いものなんだと感動したことを覚えている。

 やっと下書きを終え、いよいよ清書することになるのだが…。ここからはある程度決まったものをただきれいに間違えないように書いていくわけなので、思考は不要だといわんばかりに専門家の顔から体育会系のスパルタ鬼コーチにかわってしまう。彼女には「字は大きく美しく書くものだ」という強い信念がある、一瞬とも乱れてはいけない迷うことは許されないのだ。1字でも間違えると最初から何度でも書き直しをさせられたものだ。できると思えばできるのだ、いややれなくてもやるのだ!!四の五の言わずに黙ってやるのだ!!泣いてもお前がやらねば終わらないのだ!!やれ!!やるのだ!!ジャスドゥーイッ!!!

 だからこそ同級生よりも書く力がついたのではないかと思っている、強引なんだけどね。1つの事象に勝手にたくさんの妄想を思い付いてしまうのも、小さい頃からの教育のせいもあるのかもしれない、なんたって暗殺者?傭兵?教育だからね。やるかやられるかなんだもの。そして圧迫面接をなんなく耐え抜くことができる強靭なメンタルを手に入れた。母の圧に比べれば他のは大したことはない。

 実家には数々の表彰状、トロフィーなんかが飾ってある。3きょうだいみな読書感想文コンクールの常連となる。中学生以上になると添削という形で赤ペン先生となるのだが、これが一切の手加減がない。自分が書いた原稿用紙が真っ赤かになって突っ返されて絶望を味わうことになる。小学生の頃のあのジェットコースターのような激動を味わうことはなくなると同時にキラキラした感動も自分で探さねばならなかった。高校生くらいになると小論文が得意になり、ほとんど専門家の手をわずらわせることはなくなってしまったのだ。「ふ〜ん、いいんじゃない?」としか言ってくれなくなり、なんだか誇らしいというよりかは寂しい気持ちにもなった。姉夫婦はふたりそろって大学時代からずっと小論文を添削してもらい、無事に採用試験を一発合格だ、そりゃそうだ。

 私も一応仕事の一環で日々たくさんの文章を読み書きしている。母のように、ちゃんとある分野のプロフェッショナルとして仕事をさせてもらっている、ありがたいことだ。母はとっくに他界しているが、あの世でもきっと大好きな本を読みあさり好き勝手に言いたい放題しているだろう。生前は父を置いて世界中を飛び回りあっちこっちの本を読みあさりたい、世界中の有名な図書館にいきたい、地中海みながらワイン飲んで読書するんだと言っていたから、夢を叶えているところだろう。

 そんな父の全力夏休みの工作・自由研究については次回としよう…これもまたなかなか長くなりそうだから。







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