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辺路雜記

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記事一覧

雑記

1、らんまん

徳島にいた時、『らんまん』という朝ドラを教えてもらった。竹林寺までマイ遊バスで行ったとき、ほとんどの人が植物園で降りたわけね。今日は1〜3話を鑑賞。「食べたいき」「嫌やき」「走りなよ」など、方言の面白さに心が惹かれる。体弱い5歳の万太郎が酒蔵の跡継ぎとして期待されたが、植物学者こそが本命なのか。坂本竜馬を天狗呼ばわりするなんて、おもしろい。

2、女性嫌悪
綾が弟の万太郎を求めて、

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松柏寺

松柏寺

午後のフライトまで時間があるので、ちょっと空港近くをぶらぶらしたい気持ちが起きた。
大学へ行くかと最初は思ったが、過去に戻ったって意味ない話だから辞めた。
瀏陽河辺りの床屋に行って、散髪してもらった。ガオデマップアプリであるプランを事前に購入したが、店の人はそれが使えないと言ったので、アリペイで払った。プランより7元も高くなった。デジタル化に伴う監視強化の話を主人と交わした。
また、マップアプリで

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『お遍路小娘』福州

飛行機の上で小さな女の子がよく笑ってくれる。息子よりちょっと小さいかもしれないが、笑顔が可愛らしくて癒される。向こうも僕を見てて、何だか面白いって感じ取ってて、頻々と振り返り、目や眉を動かしたり無心に笑った。若しかしたら、僕が遍路旅に出るのを喜んでいらっしゃるのではないかと思ってしまう瞬間もある。

フライトが少々遅延になったが、1時間半くらい無事に着陸できた。片方で海の上で霧が籠り、片方で町が遠

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修行の形態ーー行道から補陀落渡海まで

行道
◆窟籠り→修行者小屋→留守居が住職化→現在の寺
○空海が室戸岬で修行した。
○円空が伊吹山の平等岩で行道した。(行道岩がなまって平等岩にもなったか。)
○徳本上人(周囲500メートルの山を30日回った。休んでは行けない。中国の般舟三昧に似ている?)
○1884(M 17)年、林実利(じつかが)が那智の大滝から捨身入定した。(radiojpトークあり)
◆入定というが、海に入って死を選ぶことを

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実景を写している『一遍聖絵』

文字以外の資料を使って歴史を研究する手法がある。
例:ゲルマンの歴史を語る場合、シーザーの『ガリア戦記』以外資料が欠如しているが、ベルダーがゲルマンの歌を研究してゲルマンの歴史を描き上げた。グリムはゲルマンの昔話を収集した。スイスのブルックハルトは絵画で歴史を描いた。こういう風に、絵巻物など資料を使って日本の歴史を研究することも可能。
一遍聖人は伊予の名族の河野氏の出で、九州の太宰府で出家したが、

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海の修行と海洋宗教の跡

◆海辺の修行者
・南菩薩=永興と同行禅師
・那智の応召法師(焼身自殺=火定した)←海の修験の焚身や捨身に当たる
・雲浄法師(志摩国碞洞に宿す)(《本朝法華験記》)
・天王寺の坊さん(熊野に通った)(《今昔物語集》)
・辺路修行をする園城寺は寺門派という。園城寺の開山の智証大師は海の修行をしていた。寺門派が聖護院という修験道を生み出した。
・遍路修行をする比叡山は三門派という。
・白河上皇の熊野御幸

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王子、常世の神、補陀落、みみらく、夷、ミロク

糸我:嫁をとるなら糸我の会式
波田須王子の島 徐福上陸地
白河上皇は熊野御幸のとき、三鍋王子で昼食をとった。昔の人々は三鍋王子で鹿島(敦盛塚もある)に向かって拝んでいたらしい。これは岸の王子と沖の王子というセットになる。
リアス式海岸では、島を神格化して岸に鳥居を立てて拝んでいたが、鳥居自身が拝む対象になってきた。
宮城県牡鹿半島南東端の太平洋上に位置する金華山では常世の神として綿津見神(海神)を

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四國遍路雜記

弘法大師空海的自敘傳《三教指歸》的主人公是假名乞兒,也就是說假託一個名字的叫化子。《求聞持經》翻譯者是印度來的善無畏。在奈良開創大安寺的道慈是無畏善的弟子。弘法大師在阿波的大瀧岳和土佐的室戸岬修持求聞持法。“明星來影”就是修行的験力。開創新義真言宗的覚鑁(かくばん)上人一共修過六次求聞持法。
空海曾經登過石鎚山,應該會經過面河溪(おもごけい)和四十五番岩屋寺。北面下山,就到了六十四番前神寺的奧之院

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