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#79 やりたいことは、全部やる

みなさんは、「もし生まれ変わったら〜」と考えることはありますか?僕は以前はよくあったのですが、最近はなくなりました。今日はそんな、「もし生まれ変わったら」の話から、生き方について考えたいと思います。

この記事はドイツへ来る前に日本で書いて「いつ投稿しようかな〜」と思いながらとっておいた記事です。そんな折、友人のこのつきさんが一昨日、下の記事を投稿されました。とても考えさせられる記事で、「あ、今投稿しろって意味なんだ」と思い、投稿する次第です。その記事を引用します。



好き勝手にやってきた

客観的に見て、僕は好きなことを好き勝手やっていると思います。34歳と39歳の時に2度の結婚、47歳の時に社会人学生として大学院に入り直し、48歳の年末で会社を退職、50歳から「将来の夢を叶えるため」に単身ヨーロッパへ。
 子どもがいないから身軽だということはあるにせよ、かなりのやりたい放題だと自覚しています。それでも一つだけ「もし生まれ変わったら」と前置きをしてしまう「やりたいこと」がありました。ピアノを弾くことです。

これまで、ピアノを習ったことはありません。きちんとプロの指導を受けた管楽器と異なり、好きな曲を1年くらいかけて練習して弾けるようになったことはあるものの、今は全く覚えていません。ヘ音記号を読むのも大の苦手です。
 なので、「私は昔ピアノを無理やり習わせられた」などという話を聞くと、「僕は生まれ変わることに期待しているのに……」とうらやましい気持ちになります。ある時友人とこの話をして、こんな会話をしたのを覚えています。

 僕:生まれ変わったら、ピアノを習うよ。どうしても弾きたい曲がある。
友人:……今からやったら?生まれ変わる保証ないよ。

どうしても弾きたい曲

大学1年の時に好きになって以来、30年以上ファンをしているピアニスト、David Benoit(デイビッド・ベノワ)の Kei’s Song はその中の1曲です。一度だけ東京のジャズクラブで生で聴きました。奥様は日本人のケイコさんで、この曲は奥様に捧げた曲です。奥様が神戸出身ということもあり、震災後神戸に捧げたオーケストラ組曲 Kobe (1998) も作曲なさっています(下のアルバムに収録)。

note を始めたばかりの頃に投稿した記事「#2 コンプレックスと「好き」の関係」にも書いたのですが、何より音楽が好きだった反面、演奏に関してポジティブな記憶がほとんどなく、「自分は楽器演奏に向いていない」という強い思い込みが、僕をピアノに向き合えないようにしていたのだと思います。それでも、「生まれ変わる保証ないよ」という言葉は響きました。

*     *     *

仕事を辞め、ドイツ留学が決まり、人生の歯車が大きく動き始めた今年、その思い込みから抜けてみようと初めて思えました。僕が弾きたいのは「ラ・カンパネラ」のようなクラシックの難曲ではなくフュージョン曲。技巧的な難易度は低いはずです。表現の部分は、管楽器で学んだことで多少はカバーできるはず。「どうしても弾きたい曲」は上の Kei’s Song を含めて5曲ほどありますが、「60歳までに5曲を弾けるようになる」というのは夢ではないと思います。


研究以外も、ちゃんとやる

ピアノを弾きたいなどと書くと、「博士号取得のために留学しているなら、研究に専念すべき」という声が聞こえてきそうです。しかし僕に関してはそれは違います。妻にはいつも次のように言われます。

あなたは、好きなことは全部やらないと心が腐ってしまって、結局全部がだめになる。研究で忙しくてもマラソンに出て、楽器を吹いて、弾いて、文章を書いて、「やりたいことは、全部やっている」状態の時に、研究の成果も一番出せる

☆妻の名言☆

僕は幸い?日本学術振興会の特別研究員にも、某財団の海外留学奨学金にも不合格でした。誰かに学費を出してもらっているわけではなく、ドイツでは研究員としての雇用です。なので誰にも何の遠慮もなく、「やりたいことは、全部やる」スタンスでいきたいと思います。そう、生まれ変わる保証はないのです。

今日もお読みくださって、ありがとうございました🎹
(2023年10月31日)

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