#149 蹴られた背中とペニー・レイン
綿矢りささんが19歳の時に書いた、第130回芥川賞受賞作『蹴りたい背中』。この本には特別な思い出があります。昔勤めていた学校で、小説家志望の高校生に同僚の国語の先生がアドバイスする際に話題に出た本だったからです。
先生は、「背中は、普通は蹴るものではないよね……このタイトルを見て、どういう意味だろう、読んでみたいって思うよね」とおっしゃいました。出版から20年目の綿矢さんへのインタビュー記事を引用します。
イギリス、リバプールへ
先週、夏休みをとってイギリスのリバプールへ4日間旅行してきました。目的は、ビートルズゆかりの地めぐりでしたが、5月に始めたオランダの大学での研究で頭が飽和状態だったので、少しクールダウンしたいということもありました。そこで自分の意外な思考の癖に悩むことになりました。
オランダからリバプールへは、直行便があります。アムステルダム・スキポール空港から、リバプール・ジョン・レノン空港までは1時間半ほど。オランダとイギリスの間には1時間の時差があるので、時計の上ではたった30分で着いてしまいました。昼前に現地についたので、お目当てだった「リバプール・ビートルズ博物館」をすぐに見学、その後ホテルへチェックインしました。実を言うと、ここで心身ともにリラックスモードに入ってしまいました。
観光旅行が苦手
理解されないことが多いのですが、僕はいわゆる「観光旅行」が苦手です。昨年の9月に、デンマーク・コペンハーゲンで丸一日時間が取れた時も、行ったのは「しあわせ博物館」と、好きな画家が昔暮らしていた通りだけでした。短時間で多くの場所を回ってしまうと印象が薄れてしまいもったいないので、訪ねる場所を限ってゆっくり時間を使い、ホテルに帰ってからそこで感じたことを思い出したり、バーへ行ってその日撮った写真を見ながらゆっくりお酒を飲んだりする、そういうのが僕の旅先での時間の使い方です。
そんな「旅の癖」があるので、リバプール旅行でも「リバプール・ビートルズ博物館」を見終えてホテルにチェックインした段階で、「これ以上の観光は不要で、むしろ負担だ」と感じていたのです。
ペニー・レインへは行かない?
しかし、「リバプール・ビートルズ博物館」以外に、どうしても行きたい場所があったのでした。それは、ビートルズの楽曲『Penny Lane』に描かれた、同名の場所「ペニー・レイン」でした。中学生の時に、美術の課題で「写真を元に風景画を描く」というのがあったのですが、僕が描いたのはビートルズ・ファンクラブの会誌に載っていたペニー・レインの街並みでした。いつか自分でペニー・レインを歩いて、『Penny Lane』を聴くんだ、というのが13歳の時以来、38年間持ち続けた夢でした。
ところが、上に書いたように、ビートルズの聖地に囲まれて多くの刺激を受けすぎてしまい、脳が少し「インプットを減らしてください!」シグナルを出していたので、残っている丸2日はホテルで過ごすことに決め、近くのスーパーで水や軽食を買い込んで、部屋に引きこもってしまいました。家族や友人たちには、「残りの2日間は、どこへも行かずにホテルの部屋で過ごすよ」とメッセージを送り、「あなたらしく過ごしてほしい」と言ってもらえたことから、昼寝をしたり友人とチャットをしたりしながら、平和な時間を過ごしていました。
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いきなり蹴られた背中
最終日は朝4時にはホテルを出て、朝6時過ぎの一番フライトでオランダへ戻ることになっていたので、事実上前日が最終日となりました。その日は朝からある友人とオンラインで話し、「今回はペニー・レインへは行かずに、部屋で新しいプロジェクトを考えているよ……」と話しました。友人は、「そうなんだ……まあ、自分のお金で来た旅行だから、好きにすればいいよ」と理解を示してくれました。
そして、オンラインを切った直後でした。
とメッセージが来ました。大の大人が自分で、「今回は行かない」と決めた時に、「いやいや、今行ってこい」と言われたわけです。夏休み前までの疲れも出たのか、少し頭痛もしました。その友人に「リバプールへはまた来ると思う。次に来た時でもいいと思うのだけど、やっぱり今日行く方がいい?」と聞いたところ、
と返信。僕は、「君がそう言うなら、自分の気が進まなくても行ってくるよ」と返信してバスに乗り、ペニー・レインへと向かいました。
行きたい気持ちになぜか自分でブレーキをかけていた僕は、「背中を押された」というよりも、「背中を蹴られた」気分になりました。美しい海が広がっていて、でも何かが怖くて飛び込めずに岸にしゃがんでいた僕を、「さっさと行けや!」と後ろから「優しく押す」というより「蹴飛ばして落として」くれた感じでした。
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「気のゼロ地点」だったペニー・レイン
そうして訪ねたペニー・レインは不思議な場所でした。多少霊感があるのですが、「プラスの気もマイナスの気もなく、言うならば気のブラックホールのような場所」と感じました。『ペニー・レイン』は1967年の曲なので、あれからもう57年間も、多くのファンが聖地として訪ねてきた場所です。
その人たちの強い気を受け止めて、ちょうど質量が大きい星がブラックホールになるように、「気のブラックホール」になっていたような感覚を受けました。そして、それまで色々なことに対して感じていたモヤモヤのようなものが、全部吸い込まれていくのを感じました。それまであった頭痛も治り、スッキリした気持ちでその友人へメッセージを送りました。こんな返信が来ました。
長年訪ねたかったペニー・レインに行けたことよりも、行かないという本人の背中を後から蹴ってくれた友人がいたこと、その思い出とペニー・レインが結びついたことが何より嬉しかったです。そんなビートルズ『Penny Lane』の曲と風景を紹介します。写真を見ながら聴いてみてください。
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自分だけでは動けないことも
その友人にはお世話になりっぱなしで、先月無事完結した小説、『Flow into time 〜時の燈台へ〜』を書き始めたのも、実はその友人が、「小説書きたいんなら、書けばいいよ、書いた方がいいよ」と根気強く勧めてくれたからでした。そして次にやろうとしていることも、同じ友人が、「やる方がいいよ」とわざわざポストカードに書いて日本から送ってくれたことです。
大人になると、人から強く関わられたり、人に強く関わったりすることが減ってくるように思います。「自分のことは自分で決める」のも、もちろんいいのですが、自分で自分の在り方を、「自分はこうだから」と思い込んでしまって、本当は心の中に持っている「ありのままの気持ち」にうまく気づけないこともあるのではないでしょうか。
そんな時に持つべきは、「背中を蹴ってくれる友人」かもしれません。背中を蹴ってくれる友人は、きっと傷ついた時にそっと「背中に手をあててくれる人」でもあるのだろうと思います。
その友人も小説を書く人なので、ここで感謝の気持ちと共に二作品を紹介します。
『Chopped Cookies』全3話 by Karina
クッキー作りが主産業で、法律でレシピが厳格に定められた国を描くSF。そのまま読むもよし、「クッキーは何を表象しているのか」と考えながら読むもよし。読むほどに味が出てくる作品。
『いつか同じ空の下で笑えたら』前後編 by Karina
Karina さんはこういう、「何かに対するメッセージが隠れている」と思って読んでも、思わずに読んでも楽しめる、言うならばスケーラビリティの大きな作品を得意とする書き手ですね。読み終えた後に、吹き抜ける風と自分の足で歩いていく勇気をもらえる秀作です。1時間ほど時間が空いた時に、ぜひお読みください。
「ペニー・レイン」を訪ねるという38年越しの夢は、予定通り行くよりもずっとずっと素敵な形で叶いました。Karina さん、いつも本当にありがとう。いつか、何か恩返し、できるかな?
今日もお読みくださって、ありがとうございました。
9月末までは、月曜日エッセイ、水曜日「しあわせ探求庁」、金曜日エッセイの週3回の投稿で参ります🫡🇬🇧
(2024年8月5日)