「なにくそ」って思えない そんな自分を愛せない
突然ですが悩みはありますか? 虚空に向かって聞いているので誰からもノーリアクションなんですが、勝手に話を進めると、わたしはあります。
わたしの喫緊の悩みは、「“嫌われたくない”に捉われすぎている」ということです。
『嫌われる勇気』読めよって感じなんですが、そして実際何度も読んでるんですが、どうしても持てない嫌われる勇気。翻す反旗。激しい叱責。それは縁のない響き......。
咄嗟にライムを踏んでしまいました。
とにかく! 人の顔色をめちゃくちゃ窺って、もうそれが癖づいてしまっているので、無意識のうちに先回り×先回りしている状態なんです。この「自動化」がとっても恐ろしくて、自分の確固たる意志のようなもの無視して相手を優先しちゃうのが、「自然な状態」になっちゃってるんですね。
それってカギのかかってない自分の部屋に、赤の他人が入ってきてそのまま居座っちゃうってことじゃないですか。そう考えると、マジでこわいですよね。
「そんなの一長一短じゃない? 思いやりってことだし、いいところもあるよ」
優しい誰かはそう言ってくれるかもしれません。
確かにそれは、ある点ではわたしの長所かもしれない。でもわたしは、特に仕事においては重要な「絶対にこれが正しいんじゃあああ! 何を言われようともこれを推し進めるんじゃあああ!」というこだわりというか、燃えるような気概を欠いていて、誰かに何かを言われたら、「こうすべきだったかな...自分は間違っていたかもな...」といつも自信なさげに下を向いてしまいます。仕事を愛していないわけではないのに。
それって結構苦しいんですよね。いつも自分を省みて、省みるだけならいいんだけど、自分に非があると思っていることがほとんどで。それは、どんなケースであっても「わたしは悪くない」「間違ってるのはアンタでしょ」という態度がまったく取れないということなんです。
こうやって文字にすると本当に“いい人”感だけが前面に出ちゃうんですけど、いい仕事って、当たり前だけど「相手に嫌われない」ことが主目的なんじゃなくて、よりハイレベルな物を共に創り上げていることこそが達成なんですよね。その観点からすると、この度を越した気遣いは、無用の産物、過去の遺物、開催できないオリンピックのレガシーみたいなものなんです。はい。
じゃあどうしたらいいか? これは、わたしも答えは持っていないんですが、①自分の気弱な性質を認識する、②少しでも改善しようと努力する、③そして少しずつ自信を積み上げる。
もうね、「金木犀はいい香り」とか、「藤井聡太息子にしたい」くらい自明の理なんですけど、正直これしかない気がしてます。
ちなみに「自信」っていうのも曖昧なんで補足すると、わたしのなかでは、「これはうまくいったぞ」と“自分が”(←ここ大事)感じて満足する経験を、重ねていくしかないと思います。
そう考えると、このnoteを毎日続けているのも、わたしが自信を取り戻す一環なのかもしれない。毎日noteを続けている限り、最低でもひとつは自分との約束事を守れているわけで。加えて、自分がいいなと思える文章を書けたなら、これは立派な満足であり達成です。
結論もなく書き始めましたが、書いているうちにうまくオチがついたような気がしています(気のせい?)。もし最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
とりあえず言えることは、わたしはあしたもnote書きます! それだけです。
この記事が参加している募集
いただいたサポートは、本の購入費に充てたいと思います。よろしくお願いいたします。