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ひとり遠足で気づいた、自由とわがままと私の居場所。

肩書きを全て取っ払いたい日もある。

母、妻、役職、飼い主。
全部ぜんぶ取っ払って、肩の荷を下ろして、ただただ自由になりたい。
そういう日って、絶対誰にでもあると思う。

そんなことないよ、それってわがままだよ、なんて言われたら正直落ち込むかも。
それ、わかるよって言われたら、泣けるほど嬉しいかもしれない。


🚶‍♂️

天気は晴れ。

空はどこまでも青く、雲ひとつない、いい天気。
「今日は晴天です。お出かけ日和になるでしょう。夏日になるかもしれません。水分補給は欠かさずに」
テレビの中で天気予報のお姉さんが、私に告げる。

職場のスケジュールには、だいぶ前から休暇を入れておいた。
天気が良かったら、遠足に行こう。
天気が悪かったら、家でゴロゴロするだけでもいいけど、私には行きたいところもやりたいこともある。
幸いにも今日はお出かけ日和だ。

なんの肩書きもなしで、ただただぷらぷらと街歩き。
ひとり、遠足気分で自由を満喫する日。

今日はいつものパンプスじゃなくてスニーカー。
お気に入りのナイキのド派手なスニーカーが、今日の相棒。どこまでだって歩いて行く。自転車もバスも使わない。え? なぜって? そりゃあ、ウォーキングも兼ねてるから。

相棒はスニーカーだけじゃない。

久しぶりに手に取ったミラーレス一眼。
小さくて軽いところが気に入って、いつの日だったか購入したもの。
しかし、買ったもののスマホのカメラが楽ちんすぎて使っていなかったのが現実だ。持て余すのも勿体ないので妹に貸出してたのが、つい先日返却されてきた。

設定も使い方も、何もかもを忘れちゃったけど、今日は、せっかくなので、連れて行く。

SONYのα5100

カメラを持つと、どんな場面でも切り取りたくなるから不思議。
道端に生えている雑草だって、かわいく見える。

近所を歩いてたら、母に会った。
「歩いて行くと?」
「そう。今日は遠足やけん」
私がそういうと、母は軽く笑う。
「気をつけていってきなさいね。飲み過ぎないように。リフレッシュしておいで」
「ありがと。いってきま〜す」
私は母に手を振って、そして一歩踏み出した。

遠足の目的地は福岡市中央区六本松。

科学館があったり、公園があったり、神社もある街。
飲食店もおしゃれなお店が色々あって、ジャンルも豊富。好立地で遊びやすい印象。
街歩きするにはちょうどいい。

ちょうど福岡市科学館で開催されていた「動くゴッホ展」に足を運んでみた。
私は美術や芸術に造詣が深いわけではないけれど、不思議とゴッホの絵を見ているとテンションが上がるので、見てみたいと思っていたのだ。


ゴッホの部屋を再現した展示
窓がデジタルファインアートになっていて、
しばらく眺めていると絵が変わるのが面白い

展示してある絵は、デジタルファインアートというものだった。額の中で絵が動き出す不思議な世界。
無機質な壁に、しんと飾られた額縁。その中の絵は息遣いを感じるような筆の流れがあるようには、私には思えなかった。やっぱりデジタルだからだろうか。けれども、額縁の中の月や星が瞬きだしたり、絵の中の人物がまばたきをしたり、タバコの煙をくゆらせたり。
なんだか、ハリーポッターの世界に入り込んだ気分。

展示自体は短いものではあったけれど、デジタルファインアートということもあり、同じ額縁の中に飾られる絵は一枚ではなく、時間が経つと絵が切り替わったりもする。そのため、見ることができる作品の量は多いようだ。

ゴッホについては、原田マハ著「ゴッホのあしあと」を読んでぼんやりと予備知識はあったはずだが、もうすっかり忘れていた。弟の名前がテオってことくらいしか覚えていなかった。

でも、事前の知識が入っていない状態だったので、ふんふんとちゃんと展示の説明なども読みながらじっくりと見ることができた。
頭の中がスカスカだと、いつも新鮮な気持ちでいれるのかもしれない。たぶん、今日見聞きしたことも、ぎゅっと脳みそを絞ったら、どこかに逃げて行ってしまうだろうけど。完全なスポンジ脳。

そういえば、「たゆたえども沈まず」が積読状態になっているので、こちらもいつか読みたいと思った。
たぶんすぐ、読もうと思ってたことも忘れちゃうんでしょうね。たぶんじゃない。わすれる、ゼッタイ。


ぷらぷらしていて思い出した。
六本松といえば、パン屋じゃないか。この街には私の好きなパン屋がある。しかしそのパン屋、みんなも大好きなのだ。
だから平日の夕方や休日に行くと、並んでたり売り切れたりしてなかなか買えない。

いやしかし、今日は平日の午前中だし、ワンチャン買えるんじゃね? と思って、いそいそと足を運ぶ。

マツパン
アマムダコタン

朝からパン屋を2軒はしごした。
ドアを開けると、こじんまりとした店内の棚に、見たこともない手の込んだたくさんのパン!パン!パパパン!店内の装飾も可愛らしくって、そして、パン!パパン!パパパンパン!

あっという間に、私の理性が弾ける音がする。

やばいー!うまそうー。あれも食べたい。これも食べたい。かわいい!えー、ちょっとお高いけど、いいよね。だってこんなにいっぱい種類がある時に来ることないし。あー、明太フランスみっけ。なにこれ、ステキー。ピスタチオ?チーズ?がはっ(吐血)(語彙力)

息も絶え絶えに、レジへとトレーを運ぶ私。さながらぜんまい仕掛けの茶運び人形のよう。知らんけど。しかし、レジで会計をしてもらっていると、私は次第に冷静さを取り戻した。冷静とトレーの間に疑問符が浮かぶ。なんでこんなにパンがトレーに乗っているんだろうか、と。パン屋マジック。これがお前のやり方か〜!

これは必要な出費だ。私を元気にするための大切な出費だ。きっと家族も理解してくれるはず。これは一人で食べる分じゃないんだし。
と自問自答をしながら会計をしていると、突然、天の声が聞こえてきた。

そういえば、誰かダイエットするって言ってなかったっけ? 
誰か〜。どこかの誰か〜。

私は頭を左右に振る。天の声なんて妄想に過ぎない。誰も私に話しかけたりなんかしていない。
私はパンを食べる!おいしく!そして、いっぱい!

大体、誰がダイエットなんて、そんな世知辛いこと言いだしたんだろう。私がダイエットなんてできるわけがない。こんなにも食い意地が張ってるって言うのに。無理だ。ムリ、ゼッタイ。

だから私ができもしない痩せたいなんてこと、公言するわけがない。どこぞの腐った政治家みたいなことするはずない。うん。多分、言ってない。痩せたいなんて。
と、自分を励ますように首を上下に動かして頷いた。

そして、その首を左右に振る。
平気な顔でうそぶいてはいけないと、自分に喝を入れた。

確かに間違いなく私は痩せたいと言った。がんばるつもりで今年を迎えた。しかし痩せたいけれども、正直なところ、ダイエットはしたくない。そんなよく分からない葛藤と脂肪を抱えて私は日々、生きている。
こうやってわがままボディは作られるのかもしれない。

うん。でも、そうだね、わかったよ天の声。
ダイエットは明日からするよ。
だから今日はダイエッターの肩書きも免除で。

でも知ってた?
明日って、寝て起きたら今日になるから。
「明日から」の「明日」は永遠に来ないの。
だからダイエットは永遠に「明日から」。

これを人は屁理屈と呼ぶんだぜ。

そんなことを考えながら、持っていたエコバックにたくさんのパンを詰めて、ガサガサと歩く。パンを買ってほくほくしたところで、時刻は11:30。
いつもなら自転車で来る場所に、歩いてきたのには理由がある。

それは…….、昼飲み!

せっかく昼飲みするのなら、と、ランチでお酒が飲めるお店じゃなくて、がっつり昼飲みができるお店を私は探した。本気なのだ。本気で飲む気だ、この女。母から注意されたものの、気にしていない。気持ちよくなる程度に飲んで、夕方には酔いを冷まして、素知らぬ顔で家に帰る気だ。

そう思って選んだ店はビルの一階にあった。私は路地から一本入った道をスマートフォン片手にウロウロ歩く。

画面上の地図が指し示す場所付近で、きょろきょろとあたりを見回すけれど、いまいちお店の場所がわからない。おかしいなぁ、と色々と覗き込んでみると、ビルの壁に看板が出ていた。どうもビルの奥に入り口があるらしい。1メートル程度のビルとビルの隙間の奥に入り口があるようだった。

これでは店の雰囲気も混み具合もわからないじゃないか。私は躊躇してしまった。ぶるんぶるんと二の腕を踏む。間違った。踏んだのは二の足だった。

私は一旦、ビルの前を通り過ぎた。わざとだ。わざと。なんか入りずらいなあと思って、わざと通り過ぎてみた。完全にビビり。

やっぱり今日は普通のランチのお店に行こうかなぁ? なんて思いながら、しばらく歩いてみる。でも、やっぱりなぁ、せっかくだしなぁと思う。深呼吸して、えいやっと踵を返して入ってみた。

店内は10人ほどが座れるコの字型の小さなカウンターがあるだけの、こじんまりとしたお店だった。店内には数人の先客がいらっしゃった。カウンターの中には店員さんがいて、初見の私でも快く受け入れてくれた。まあ、きた客を突き返すお店なんてほぼほぼないだろうけど。正直なところ、初めて行くお店は、店の入り口がわかりやすかろうとわかりにくかろうと、ただただ緊張する。空気感もよく分からないし、作法も分からないし。

居酒屋に作法もクソもない気がするが、本当にはじめてのお店は緊張するのだ。例えば、初めてお呼ばれしたお友達の家に上がる時みたいな、進級してクラス替えで判明した自分のクラスに入った時みたいな。妙にソワソワする緊張感。居場所がいまいちよく分からない、ちょっと浮ついた感じ。

通された席に座るなり、
「すみません」
と私はカウンターの中にいる店員さんに声をかけて、生ビールを頼んだ。

とりあえず駆けつけ一杯。
緊張ほぐすにはコレでしょ。緊張してなくても、飲むんだけど。そのために来たんだし。

生ビールを頼んで、冷えたビールできゅっと喉を潤す。
1時間くらい歩きっぱなしだった体に黄金の液体が染み渡る。お天気お姉さんの言うとおり、外は暑いし、水分補給は重要よね。体がシュワシュワと喜ぶ声が聞こえてくる。
それにしても12時前に飲むビールのうまいこと!!

常連さんっぽい人は瓶ビールを頼んでいた。やっぱり通は瓶ビールなのか? そうなのか、そうなんだな。
でも、やっぱり生が好き!!

梅水晶
鳥のたたきと牛のたたきの
ハーフアンドハーフの
さらにハーフ

おでんにたたき、ガーリックトーストに、なんか色々。とにかく酒のあてが盛りだくさんで、酒が進むことこの上なし。
ぐびりと飲んでは、ちょびっと食べて、少し頼んでは、ぐびぐびと酒を飲む。

やばー。酒すすむ。昼飲み最高! 

とか思っていたら、ついつい4杯も飲んでた。
2杯目からは焼酎にしたけど、「メガがお得ですよ」とか「メガいきますよね?」と言われて、調子に乗ってメガサイズで酒を飲む。

いい感じになって、ふわふわした気分で席を立った。

一人で昼飲みとか大人だな〜という感想を抱いてみたが、大人と言うよりただの酒飲み。

お店の方と会話をしてたら、「まだお若いですよね?」と要所要所で年齢を確認された。たぶん会話の内容と見た目に違和感があるんだろうなという雰囲気を感じた。「若くないです〜」なんて言ってみるが、果たしていくつに見えてるのが気になるお年頃。
齢43。

お会計時に調子に乗って、「いい気分で帰りたいので、いくつに見えたか聞いてもいいですか?」とプレッシャーを与えながら、半ば強制的に若く言うように仕向けるBBA。
15歳も若い年齢を答えてもらい、ご満悦でお店を後にした。

歳を取ると、ほんと図太くなる。

もともとお前は図太いよと、家族や知人に言われそうな気もするけど、最近さらに図太くなった気がするんだよ。マジで。

図太くなったのは、メンタルかウエストか?
顔も丸いし、肉厚だし。厚顔無恥ならぬ、厚顔むちむち。メンタルも顔の肉もやっぱりダイエットすべきだよなぁなんて思う。

職場でメンタルに比例して増え続けるウエストって、年輪みたいなモンだよね、という話になった。

「私たちの人生の歴史は、このウエストに刻まれているのよね」と。
いい感じに図太いウエストを肯定して、痩せない自分に目を背けた会話だ。

「でもさ〜。あれよ。中身は腐っていって、そのうちすっからかんになるんやない?」

ぐおおお。こわいこと言うなよ〜と思いつつも、確かに、とも思う。
年輪は増え続けるものの、骨はスカスカになるし、記憶力もスカスカになる。
まあ、そんなことを言いつつも、元気に生きていきましょうよ。
なんて話になるお年頃。齢43(本日二度目)

元気に生きていけるようにと、神様にもぷらっとご挨拶。

護国神社

神社はいつ来ても空気が澄んでいて気持ちがいい。しゃんと胸を張りたくなる。出るのはボヨンとしたお腹ばかりではあるが……。すぅっと澄んだ空気を吸い込み、ついでに腹も引っ込める。

せっかくなので、おみくじも引いてみた。

大吉! やった! 
純潔とか清純かどうかはよく分からないけど、強い意志を持つことにします! 
大幸運授かりたい!

と満足したところで、時刻を確認するとそろそろ母の肩書を背負う時間。よいしょと「母」と書かれたプレートを肩に乗せ、私は六本松を後にした。

ふわふわと気持ちよく帰るつもりだったけど、想定外にひとり遠足を満喫したため、せかせかと早足で帰る。

左がマツパン、右がアマムダコタン。
マツパンは子どもと一緒に食べたい感じ。
アマムダコタンは、お酒と一緒に食べたい感じ。
みんな違ってみんないい。

帰宅後の晩御飯は、明太フランス食べ比べ。
どっちも美味しい!ああやばいな〜、うまいな〜。パンをがしがし噛みながら、明太フランス考えた人すごいよなぁなんて思う。いやはやほんと美味しい。次はいつ食べれるかな〜。うまー。

タンパク質も食べたいからと、鶏肉なども焼いて皿に乗せる。酒を飲んだら、料理は面倒。ごめんよ、夫に息子たち。切って焼くだけ、切って乗せるだけ、ちぎって放り投げるだけの雑な晩御飯で。

実は今日のひとり遠足は、家族にも内緒で決行されたもの。

じわじわと滲み出すように湧いてくる罪悪感を打ち消すために、佐藤の黒(芋焼酎)を夫へのお土産として買って帰った。
名前はよく聞くし、おひとり様一本限りと書いてあったら買うしかない。

たくさん飲んでるのがバレないように、家に帰ってからも普通に飲む。
夫が佐藤の黒を早速開けていたので、ご相伴に預かる。まろやかで飲みやすい。飲みやすいとは言ってもちゃんと芋焼酎。普段ストレートやロックでは飲まない私でも、美味しいと思える代物だった。

大人になったなぁ。
なんてしみじみ年輪を感じながら、ちびりと舌で
酒を転がす。

ばたばたと階段を昇り降りする音や、大量の洗濯物を入れた洗濯機が回る音。愛犬の鳴き声。
生活音をつまみに酒を飲む。

これも全然、悪くないよなぁなんて。


🚶‍♂️

振り返ってみると、なんて贅沢な時間だったんだろうか、と感じている。ひとときの貴重な自由時間。

20代の頃は一人でどこかに出かけたり、一人で食事をするのは寂しいと思っていた。けれど40代になった今、ウエストの図太さも作用してか、一人でもなんだか全然寂しくない。もちろん、誰かと過ごす時間も格別に楽しいけれど、自分のペースだけで動けるというのは、快適だな、と思ったりもする。わがままに振る舞っても、誰にも迷惑がかからない。

もしかして私の中で自由を感じる時は、わがままに振る舞える時なのかもしれない。日々、いろいろな肩書を背負っていると、さすがにわがままではいられない気がしているから。

これから、もしかすると少しずつ自分の肩書きが減っていって、自由な時間が増える時が来るのかもしれない。

「自由」であることと「わがまま」になること。似ている気もするけど、たぶん絶対に違う気がする。
今はまだ、私の中で自由とわがままの区別はついていないけれど、これから歳を重ねながら、素敵な自由を手に入れていきたい。

自由になるために肩から下ろしたかった肩書きは、私が「そこ」にいる理由になっているような気もしている。お客さんではなく、クラスの中に出席番号があるように、自分の「席」として用意されたもののような。気兼ねなくそこにいられるような。

その肩書きを手に入れた時の緊張感は、次第に薄れてきてはいるけれど、とはいえ今も、プレッシャーに感じる時や緊張を感じる時もある。けれど、その肩書きを胸に下げている時、私は堂々と「そこ」にいていいと感じている気もしている。もしかすると私は、自分が思っている以上に、社会に居場所を欲しがっているのかもしれない。

そうは言っても、その肩書きに疲れる時だってある。
わがままに自由を求めたくなるけれど、たまのそれは、元気に生きるための必要条件なのかもしれない。

誰かが「自由」を「わがまま」を求めている時に、「いってらっしゃい」と言ってあげられるような、「ちゃんと席は用意しとくからいつでも帰っておいで」と言ってあげられるような、そんな人になりたいと感じたひとり遠足だった。


話は変わるけど、何歩歩いたのかが気になるところ。
だって、ダイエッターの肩書きも戻ってきちゃったから。

おお!
18,000歩超えとる!

さ〜て、明日からはダイエットがんばる、かな?









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