辛気臭い顔の呪いを解く、怪しい粉。
「辛気臭い顔して歩いとるね。元気がないみたいやけん、コーヒー買っちゃろうか」
歩いていたら、知らないおじさんにそう言われた。
職場に来ていたお客さんだった。話しかけられたから、何かを尋ねられたんだと思った。おじさんはマスクをしていて、その下でボソボソと話すから、なんと言っているかが聞こえなかった。顔を近づけて聞いたら「辛気臭い顔」と言われた。正直、イラッとした。
「元気なんで大丈夫です! ご心配おかけしてすみません」
私はそう言ってにこりと微笑むと、その場をすぐに立ち去った。本当は自販機でコーヒーを買いたかったのに。自販機でコーヒーを買うところを見られて、勝手にコーヒーを奢られても困ると思った。仕方がないので、数時間後にコーヒーを買いに行った。
どんな顔をして歩いていたんだろうか、と思った。
辛気臭い顔。
もしかするとおじさんは、私を励まそうとして声をかけてくれたのかもしれない。でも、私の心は別に重苦しくもなかった。余計なお世話だと思った。そしてそのまま、私はいつもの日常を過ごした。
帰路に着く際、なんだかモヤモヤと引っかかっていたことがあった。なんだかすっきりしない。なんだろうと私は思いながら、帰宅後すぐに洗濯機へと向かう。洗濯機は買い替えたばかりの、真新しいドラム式の洗濯機だ。洗濯機が壊れそうな気がしていたので、家電量販店に出向き新しいものを購入していた。そして、それは日曜日に届いていた。
日曜日に洗濯機が届いて、その洗濯機で洗濯をしてからというもの、洗濯された洗濯物からいい匂いがしなかった。柔軟剤の効果がない気がするけど、洗濯物自体はふんわりしている。何かがおかしいけれど、私には原因がよくわからなかった。買い換える前のドラム式洗濯機の乾燥を使った時も、変な匂いがしたし、もしかすると乾燥機を使うと、いい匂いはしないのかもしれないと思った。
でも何か嫌な予感がする。私は洗剤を投入している場所の蓋を、かぱっと開けた。
そして、洗剤を確認する。
「減ってなくない?」
柔軟剤も確認する。
「こっちも減ってなくない?」
やっぱり。
私は確信した。
洗剤が投入されていない。絶対そうだ。
自動投入付きの洗濯機だから、洗剤ケースに洗剤を入れておけば、自動投入されると思っていた。でも、そうじゃないらしい。明らかに洗剤は投入されていない。
私は納品から5日経って、やっと取扱説明書を開いた。
洗剤の自動投入のページを開く。
NANANANA!NANTO!
自動投入の設定をしなければならないではないか!
SO・N・NA!聞いてないYO!
しかし、私は説明書を読み進めて納得をした。
洗剤のメーカーによって、水の量に対しての洗剤の使用量が異なるらしい。それに合わせて設定をしなければいけないとのこと。なるほど〜!確かにそうだよね。言われてみればそんな気がする〜。
私は納得しながら、自動投入の設定をした。
そして、夫に衝撃の事実を伝える。
「洗剤、自動投入できとらんやった! ずっと水洗いやった!」
「ああ、洗えてないな〜って感じがしたもん」
おい! 気づいてたなら言え!
と思ったが、実のところ私もそんな気がしていた。だからモヤモヤして、帰宅後洗濯機へ直行したんだった。
私はガックリと肩を落とした。
なんだか悲しい。
そして、そこからもいつものように生活をした。休肝日だったけど、なんだか無性にお酒が飲みたくなった。しかし冷蔵庫にはビールが一本も入っていなかった。誰が飲んだのだろうか。買い足していたはずなのに。最後の一本があったはずなのに。そう思いながら焼酎を飲んだ。誰が最後の一本を飲んだのかと言えば、それは私だったから、このモヤモヤをぶつける相手すらいなかった。
モヤモヤしながら家事をする。
私は部屋を行ったり来たりした。
そして、左足の小指をドアの角で思い切りぶつけた。痛い。
わたしのぶつけた小指が痛い。
なんだかモヤモヤする。
絶対に辛気臭い顔をしているだろうな、と思った。
おじさんに辛気臭い呪いをかけられた気がした。
愛犬ポッキーの散歩に行こうとドアを開けると、玄関前にネットで注文していた洋服が届いていた。それがセールになっていた若い子が着るブランドの、ハイウエストのズボンだとわかった。私はそれを手に取ると家の中に放り投げた。散歩を終えて家に帰るなり、袋をビリビリと破り早速着てみた。入る。よかったと私は安堵する。でも……、厳しい。座ったらウエストのボタンが弾け飛ぶ。絶対に。若い子たちと私とでは骨格が違うのだ。切ない。私はぎゅうぎゅうに押し込められたウエストを見た後、顔を上げた。目の前の鏡には、辛気臭い顔をした私が写っていた。
痩せよう。
せっかく買ったんだから、履きたい。
明日からがんばろう。
でも、今日は……、今日だけは。
私はこの辛気臭い顔をどうにかしたくなった。そして、幸せになると言われる怪しい粉のついた食べものを口に運んだ。
なんだか、ハッピーになれる気がした。
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