リセット願望
たまにどうしようもなく、今がつまらないと思う時がある。
環境を変えれば、楽しいことが待っているような気がしてしまう。
だからと言って、環境を変えようと言うことにならないのが、私が現在の安寧を心地よく思っているからだということはわかっている。
19歳で今の仕事について、もうすぐ25年目になる。
四半世紀だ。
恐ろしい。時の流れの速さに、私は顎がハズレそうになる。それを防ぐために私は顎を二重で支える努力を日々欠かさない。貫禄もしっかりとついてきたところだ。持ち合わせていなかった初々しさは、微塵にも感じることができないほどに、粉塵となり鼻息で飛ばされてしまった。きっと私の欠片ほどの初々しさはどこかで芽を出して、世にも美しい鼻を咲かせていることだろう。私も鼻が伸びるってもんだ。
私の仕事には人事異動というものが定期的にあり、2〜5年に一度くらいのサイクルで仕事の内容が変わる。仕事の内容が変わらなくても、定期的にメンバーが入れ替わるので、環境自体は変わる。
歳をとると新しいことが覚えられないので、あまり異動を好まない人もいたり、望んで同じような環境下で働く人も少なくない。
でも、私は、どうしたって違う環境で仕事がしたい。
刺激がないと面白くないし、同じことばかりしていても飽きてしまうと思ってしまうからだ。
とはいえ、昨今の目まぐるしい物事の進み具合から考えると、きっと同じ環境下であったとしても、同じことを繰り返すというような昭和の仕事の仕方というのはあまりないのかもしれない。
同じ場所にいたって、多分、来年は違うものを求められる。
だから、飽きるというのは自分自身の怠慢でしかないな、と正直なところ思っている。環境を変えたければ、転職をしてもいいし、転職しなくたって新しいことに取り組めばいい。仕事に限らず私生活でも同様だ。けれども、自主的にはそれを行おうとせず、勝手に環境が変わることを願っている。
SNSのアカウントを新しいものにしたり、連絡先を一掃したり、行ったことのない場所に行ってみたり。私はそういうことをしたことはないけれど、心機一転環境を変えるというのは、生まれ変われるような気がするのかもしれない。
しかし結局のところ、人間の本質は変わらないと思う。
どこにいても、名前を変えなくても、何も変わらなくても、自分で何かを見つけて日々楽しんでいる人はたくさんいる。
環境が変われば、リセットできれば、何か楽しいことが待っているというのは、たぶん幻想に過ぎない。
もちろん、環境の変化によって、心のあり方に変化があるということは間違いないだろう。でも、たぶん私の場合、きっとそれにもすぐに飽きるのだ。
慣れてしまえば、つまらないと私は言うのだろう、とこの記事を書きながら、変えるべきは自分の在り方かもしれないなんてことを思ったりしたりしなかったり、どうだろう、めんどくさいなやっぱり、変わるかな〜、変わんなくてのいいかな〜、いや〜、とりあえずビール飲んでから考えよっかなってことを思うのだった。