八方美猿7 これから考えたい話
1,マルクスのビジョン
未来に対する見方として、AIの進歩を含めた機械による生産能力の向上と単純労働の需要減少が考えられる。これはAIの問題として語られることもあるが、私は単なる機械の問題を超えた社会システムの変革になりうるのではないかと考えている。
AIなども含んだ新たな単純労働の生産システムの変化は、様々な場所で話題になっている技術革新による失業者問題を引き起こすだろう。だがここで生じた失業者を今までの失業者救済システムではなく、あらたなシステムで支援してみてはどうだろうか。
マルクスがその著作で述べているとおり、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」生産システムをこれからの時代に選択肢になりうるのではないだろうか。
生産システムの根本的な変革は、長期的な目線で予想した場合の人間の労働需要を低下させ、浅田彰が「逃走する文明(逃走論,1986,ちくま文庫)」で逃走するよう宣言した「パラノ・ドライブ」の崩壊ではないだろうか。(これが高次の共産主義に至るのか考えるには、まだ儂の知識が足らん)
2,吉本隆明
現在進行形で橋爪大三郎氏が書いた「永遠の吉本隆明-増補版-」(2012年,洋泉社)を読んでいるのだが、橋爪氏を通じた吉本思想が驚くほど面白い。
彼の思想は、近代の受容を巡る問題に連なる徹底した「個」としての存在追求と、現代社会日本の根本に対する徹底的な考察が見出せる。この自立した存在の追求は転向論や共同幻想論にみられる。吉本は学生運動や日本共産党の左翼活動において、体制として確立された日本共産党(=左翼諸勢力における固定化された権力)と日本共産党のように体制化しつつあった学生運動内の諸セクトなどに対して、自立を掲げることで左右的な軸から離れたあたらしいあり方を提示した。
また吉本は現代社会への先を行く洞察を行っていたと感じられるが、そのことを主題的に扱っている「マス・イメージ論」も「ハイ・イメージ論」も読めていないので、今回は省略する。
3,正義論再考
近年の政治的な潮流を見ていると、どうも(改善されていたはずの)根本的な問題が目立たずに復活しているのではないかという感を深める。
現代の問題は一般性が高くない、かつてより少数の人々を巡るものに性格が変わっていっている。これはこれで一般的な問題の解決が漸進している結果でもある。しかしこれは逼塞しつつある日本社会では別の問題に接続されているように感じる。
個別性が上がれば公益性が下がる。よってこれを看過できない、あるいは理解できない人が増加する。この時に「公正」の概念がどれだけ耐えうるかが試される。
実際、正義論中興の祖であるロールズが提唱した「無知のヴェール」的なアプローチが機能していれば、現在この国で起きているような独善的な対立はまだはるかに論理的な対立なのではないだろうか。
注意
今書けるだけのものを書いたが、この段階でも不十分だと強く感じている。これからまだまだ要検討だし、まるで意見がひっくり返るかもしれない。これからも真面目に書き続けていきたい。