才能ではなく、100%努力で作られている
こんばんは
sarasaです!
昨日の記事にたくさんの反応嬉しかったです!!
ぜひ皆さんとお話しできる日を楽しみにしていますね♪
さて、今日お話しするのは、
「sarasaみたいに生きたい」「あなたは才能があるひと」と言ってくれた人へ
今のわたしは100%努力で形成されているという話。
もがいてあがいて手に入れた幸せの形を紹介します。
もしわたしに才能があったとするならそれは「努力し続ける才能」だったと思います。
自己肯定感は底辺。生きる意味がわからなかった
昔の知人が今のわたしを見たらなんというのだろうか
あんなに根暗で大人しかった子が、、、
人の前に立つと泣いてしまうような子だったのに、、、
笑顔なんて見たことなかったのに、、、
想像すると怖い。
わたしは小学校1年生になってすぐ不登校になっています。
幼稚園まで自由奔放に生きて、「みんなと同じじゃなくていい」って教育を受けていたのに、小学校に行ったら「それは異端児だ!」と言われてしまったから。
正確にはそんなことはなかったんだろうけど、わたしはそう感じてしまった。
だから原因はただ知らない集団にいるのが怖かったから、なんだと思う。
そのことに怯えていたら、クラスのガキ大将みたいな子に目をつけられいじめられてから、すぐに行かなくなってしまった。
自分のことは大っ嫌いだった。
隅っこで大人しく息を潜めて生きていたかった。
生まれてきた世界が違う。
そう思っていた。
「sarasaみたいに生きたい」
こう言われるようになったのは大学生の時からでした。
大学生のわたしは自由奔放で、好きなように生きていながら
頭が良く学業もしっかりしながら一人暮らしをして
バイトで全ての家計をやりくりするしっかりした子でした。
当時寄せられた声は
・自分を持っている
・エネルギッシュ(情熱的)
・すぐに行動し、結果を出せる
・少しのヒントで自分で考え行動できる
・いつも笑顔で穏やか
・優しくて気が利く
・いつも彼氏がいる
・女から見ても魅力的(色気がある)
というものでした。
あ、これは自慢ではないので、まだブラウザバックしないでくださいね(笑)
わたしも恥ずかしいんですから!(笑)
こんなことしてまで伝えたい思いがあるんです!!
そして大人になって言われるようになったのは
・勝ち組
・キラキラ女子
・人前でも堂々としていられる
よくインスタで見るキラキラした世界に住む人、みたいに思われていたのか
はたまた
強かで芯のある女性と思われていたのか
真偽はわかりません。
お世辞もあったかもしれません。
でも、心から憧れてくれて、どうしたらsarasaみたいになれるの?と言ってくれた人がいました。
信じられますか?
最初に書いたわたしと2つ目に書いたわたしは同一人物です。
そんなことを言われても満たされなかった心
ですが、それを言われたわたしはどう思ったのか
「なんでこれでも満たされないの」です。
天狗になるのでもなく、幸せだ〜と思うのでもなく
心から笑顔になれることもなかったんです。
確かに変わりたい自分になった
理想の自分になった
でも言われたい言葉はいつだって
「頑張ってるね」だった。
言われた言葉たちはわたしの心を満たしてはくれなかったんです。
努力で手に入れたものだったから
不登校になって世界が怖くなって、そのあとのいろんな経験で、さらに人が怖くなりました。
でも変わりたいという気持ちはあった。
ううん、本音はわたしもみんなみたいに
「普通に生きてみたい」
そう思ってただけだった。
それでいろんなことを研究して
どうしたら人に嫌われないのか
どうしたら人から必要としてもらえるのか
どうしたら普通に生きられるのか
考えた。
考えうる仮説は全て実証した。
そうして完璧主義なsarasaが出来上がり、
完璧なsarasaが出来た。
作られた人形のような理想的な自分
人間関係に悩むことは減ったし
周りにはいつもたくさんの友達がいた
25で高校の同級生と結婚して、マイホームまで建てた。
でも手に入れたゴールは、理想は
わたしの心を満たしてくれなかった。
幸せなはずなのに幸せと思えないジレンマ
わたしの心を満たしてくれたもの
それは旦那さんの「頑張ったね」
「いつも努力して偉いね」
「そんな子じゃないのに頑張れる良い子だね」
「出来ちゃうからしんどいんだよね」
「頑張りすぎたら帰っておいで」
という言葉たちでした。
わたしの氷山が崩れ去り
温かく満たされた心。
この人は本当にわたしのことを分かってくれている
その信頼ができたことでした。
正直結婚してすぐは旦那さんとも険悪でした。
この言葉を言ってくれなかったので、わたしの心はまだ凍りついたままだったのです。
でもそれはわたしが他人軸で(言ってくれないと不満を抱いて)生きていたから。
自分軸で自分の人生を生きられるようになると、
努力のベクトルが変わるので、
不思議なくらい自然とさっきの言葉が旦那さんから出てきたのです。
そして私たちは本当の意味で夫婦になれたんですよね。
しかし同時に
「やはりわたしは認められたくて、努力してきて、こうなったんだ」
と気づいたんです。
今はもう大丈夫
完璧主義もだいぶ和らいだし、みんなと同じである必要はないことに気づきました。
だから過度な努力はしなくなりました。
というより、正しい努力が出来るようになりました
もともと努力することはもう人生で染み付いてしまっているので、抜けないのですが、必要な努力だけが出来るようになったと感じています。
周りからの言葉も気にならないし、他人軸ではなく、自分の人生を歩めていると感じます。
でも、
この経験、この想いがあるからこそ
今もわたしのように「認められたくて、変わりたくて」
頑張っている人
真面目に努力している人に寄り添いたいんです。
真面目な人は努力が出来てしまう。
でも報われなかった時、人は死にたくなってしまう。
わたしもいつだって死にたかった。
でも、他人軸の努力では報われないんです。
自分のための努力で
幸せに気づいて欲しい。
自分の人生を生きられるようになったら幸せはすぐ目の前にあるはずなんだ。
あなたの話し相手でも、自己実現を手伝うパートナーにでもなります。
目指しているのはあなたの親友ポジション。
幸せに近道して欲しい。
最後まで読んでくださりありがとうございました!