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お茶でもどうぞ|2025.1.21日記

8時半起床。寝ても寝ても眠い。
昼寝したって、まだまだいっぱい寝たい。
睡眠はあらゆるものを調整したり、リセットしたり、ゼロに戻してくれるきがする。

今日もあたたかくストーブは必要ないが、お茶をすすりたいので湯を沸かす。
お茶の道具、次に揃えるなら炉が欲しい。
火を眺めたい。

こんなとき(嗚呼、あの時の茶人の炉があれば)なんて思ったりするが、あの時、茶人と自然を駆け回る追体験のひとときは、今も内にある自然や静寂のなかで薪を焚べるようにあたたかく、星のように光かがやいている。

茶人との追体験についてのエッセイは、こちら▼▼▼

リレーエッセイで仲間のエッセイに触れると、わたしの内にある、やわらかいところにふれる。

感触、温度、音、色、数字など、すでに感知するものがあり、まるで胎内で羊水に浸る赤子のようだ。
同時に、自問自答がわたしのなかで投げかけられる。

仲間の人生や暮らしにふれて、こんなにも言葉にし尽くせないことを"感じることができる"ことは、わたしにとって新たな"わたしの世界の扉"を開いていくようなきもちになれる。卵をあたためるように、土壌で種を育むように内に長く蓄えることができることも、エッセイや日記を言葉で綴る時間も、とてもかけがえのないことで、ありがたい。

わたしはまた、手を合わせたくなるきもちになった。
内なる自然は、外の世界の水鏡、映し鏡のようだ。

夕食後、熱々のほうじ茶のお供である、誕生日に選んだ《とっておきのお菓子》はまるで、クリスマスを待つアドベントカレンダーのように、頂く時は五感がふるふる喜んで、祝福の鐘が鳴り響く。

喜びから選択したものは、喜びそのものだ。

今日もますます、ごきげんな一日を⚪️





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sakikawasumi
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