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お茶でもどうぞ|2025.2.24日記
寝ても覚めても旧友とすごした熱冷めやらず、リレーエッセイのバトンを受け取り書き始める。
が、書きたいことは無数の水滴のように浮かんでくるし、湯気のようにゆらゆらみえてくるが、蒸気のままで形にならない。
起き抜けに手、手首、肩のリリース、腕立て・スクワット10回して、「ま、お茶でも飲むか」と今朝のお茶、岩茶をすする。
お茶菓子はドライ棗、ナッツ、ドライフルーツ。
「ナッツは小動物が冬を越すためのもので、人間は栄養価の高いものを摂取しなくても十分足りている。それに歯に障る。」と注意されていたのだが、食べている。非常に美味しく歯切れがよいナッツだ。
反抗しているわけでも、言うことを聴かないでもない。今の自分が試すことが必要だから食べている。
花を摘み束ねる。花にとって「ここ!」という咲き時とツボ押しや関節をはめるようにハサミがなくても花が摘めるポイントがある。ポキっと摘めると、なんだか整体師になったきもちになる。
花摘みに耳を澄ませつつ、度々エッセイがよぎる。摘んで束になった花が置かれっぱなしになってままなのを教えてもらう。
「これは失礼」と、きを取り直す。
が、今度は束ねている時に再び束を置きっぱなしにしたままになっているのを教えてもらう。「これまた失礼」と仕切り直し。
きがそそろだ。
ふぅ。大きく息を吐いた。
まだエッセイは仕上がっていないが、紙漉きした時の紙を取りに伺わないと、いつまでも書を書くことができないし、それでも紙が足りない。
行ったり来たりがまどろっこしいと思うが、今はそれでないと書がままならない。
こうなればもう、自分で作るしかないのかと思い始める。
そのためには土壌が必要だ。やはり拠点探しがチラつく。
果てしないが自分にとって必要なら、そのために動く。やる一択。
あちらこちらから、「わたしは〇〇することを決めました!」の[はじまりのお知らせ]を頂く。
"春の芽吹き"、人もまた、自然なのだなと感じる。
わたしはただ一筋一心に、内に耳を澄ませる。
カフェでようやっと、リレーエッセイを書き上げ投稿する。
パートナーがヴァイオリンの練習をはじめた。モーツァルトと内観。
喜怒哀楽の感情が幾重にもカスタード、パイが重なったミルフィーユにフォークを入れていくような細やかな旋律。
リズムとともに胸の奥から込み上げ、突き上げられて内と外、世界が呼応し波打つ。
今日もますます、ごきげんな一日を⚪️
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