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お茶でもどうぞ|2025.1.18 日記

5時過ぎ起床。アラーム無しでも起きることができた。
家族を職場まで送迎してから花摘みに行く。

花摘みの体制が変わり、就労時間が延びることに。職場の方々がそれぞれ、内観されていた。
わたしは通常業務は慣れてきたが、何を、どのようにすると流れがスムーズにできるかを問うていた。
心地よく過ごすには、どうすればいいかは、不安を回避するために出る癖からではなく、"今ここ"からなのだなと思う。

帰宅したらイレギュラーな体制や動きに何かを纏っているきがして、仕事着を洗濯しながら半身浴した。緊張がほぐれた。

昼食はカレーと玄米。

おかずは、大根千切りに塩当ててセロリの糠漬けを薄切りと和えてかぼすを絞り、ナンプラーを少しかけたもの。

椎茸薄切りと蓮根銀杏切りをオリーブオイルで炒めて塩、白たまりて味付けて糸唐辛子で和えたもの。

太白ごま油で生姜、豆鼓、えのき、白葱みじん切りを炒めてなじんできたら鶏ひき肉、酒で炒めて、青梗菜ざく切りを炒め昆布干し椎茸出汁を入れ黒木耳を入れて煮込む。
ナンプラー、白たまり、片栗粉でとろみつけたもの。

お腹いっぱいだけれども、お茶時間。
トゥルシー、頂いた黒文字、柚子のお茶。
透明感があって、すっと風が抜ける。

料理教室の先生がこころと身体がゆるむ習慣について書籍に掲載されているそうで、“ゆるむ”について馳せる。
わたしにとって、ゆるむ時ってどんなときなのだろう。

海を眺めているとき、森で湧き水汲むとき、お風呂や温泉に入ると九割眠くなる。

街で鳩を見たとき、公園で鳥たちを眺めているとき、街の喧騒のなかで鳥たちの囀りや掛け合いに耳を傾けるとき、木の枝が伸びゆく姿や葉が色づく姿に見惚れるとき、季節の草花に自然の移ろいを感じるときは、内にある自然と共鳴し、手を合わせたくなる。
思わず拝みたくなるきもちって、わたしにとってなんなのだろうか…。自然がわたしにもたらす恩恵は、計り知れないし惜しみない。

コジコジみてるときや、最近ハマっている『ホットスポット』をみているときは、頭で理解しようとすると及ばない範疇の物語の展開、想定外、予想外だらけで、滞っていたところや、手の届かないところのツボを押され、ほぐれていく心持ちだ。

これらが"ゆるむ"、なのだろうか…。

夕食に回転寿司に行く。とても混んでいる。
もし一人で入店するなら、カウンターでしっぽり過ごしそうなものだが、一人でもテーブル席で頂きたいものを頂きたいだけ注文し、ゆっくり過ごすのもいいよな。と、ふと、新たな選択肢について馳せた。

わたしは一人でとっておきの行きつけの場所に出向くことをすることがなく、「そうそう!やっぱりこれこれ!」と深く頷き、満ちるものや店も今のところ、特にない。

そもそも、一人で何処かのお店で過ごすことがあまりなく、その日のきぶんでその日の身体や心が求めるお茶を家ですすりながら、とっておきのお茶菓子を頂き、ニマニマするのが余白を愉しむひとときとなっている。

とはいえ、それを習慣にしたいのでもなく、瞬間瞬間に感じることを選択し、今に行動し、わたしを映したい。

そのためにどれだけの選択肢を自分に準備することができるのか。
あらゆる可能性を含んだ細やかなバリエーションを、パティスリーの焼き菓子やケーキのように揃えてあげたい。

今日もますます、ごきげんな一日を⚪️










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sakikawasumi
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