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『Namib Desert』のススメ (映画におけるミニマリズム)


ジェームズ・ベニング『Sogobi』

 昨年、渋谷イメージフォーラムにて。映画におけるミニマリズムという新たな視点を得る。

 メディテーショナルな映画体験だった。視覚的に退屈な情報が続き、気づくと聴覚が敏感になっていた。風の音、波の音、車や船の音…どれも気にかかって仕方がない。
 やがて数十分経ち、今度は視覚も明らかに変容していた。些細な画面上の動きに脳のセンサーが過敏に反応する。

 33:45〜36:08までのカット。船が海上を通り過ぎるシーン。
 文字で見るとシンプル極まりないが、船の進行方向がわずかに変化していく様子や、それによって生じる波の形や動きは、映画的な驚きと喜びに満ちている。
 スクリーンで見て、なぜか涙が出てきたことをよく覚えている。

 退屈さによって易刺激性を誘発する。この手法はメディテーション(瞑想)そのものではないだろうか。

 アンディ・ウォーホル『Empire』

 ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを定点カメラで映した映像が8時間続くという実験映画。
 モノクロかつサイレントだという意味ではミニマリズムの極地かもしれない。
 もちろんここまでいくと退屈さが人間の許容値を超え、全編通しで見るのは苦痛としか言いようがない。
 Warhol stated that the purpose of the film was "to see time go by."
 …だそうだ。

 今の時代ならば、24時間撮影し続けることも、それをリアルタイムでスクリーンに映すことも簡単にできる。

 「撮影した映像を後日スクリーンに映し出す」という形式に、映画がいまだに固執しているように思えて仕方がない。

 戦場の中継映像がスクリーンに映し出された時、それはニュース映像か、ドキュメンタリー映画か、あるいは戦争映画か…

 『Namibia: Live Stream in the Namib Desert』(Youtube)

 ナミビアの砂漠を映した定点カメラのライブ映像。
画面中央付近に水たまりがある。その水分を目当てに動物たちが集まる様子がときおり確認できる。
 定点カメラといっても、渋谷スクランブル交差点のそれとは違って人は登場しない。
 水分補給する動物の姿、気候の変化、動きの要素といえばそれくらい。なのに見入ってしまう。

 動物の姿が面白いのはアニマルプラネットと同じだけど、あちらと違うのは定点カメラであるという点。映像に抑揚がなく、淡々としている。その時間の流れが興味深い。

 ライブカメラであるのも楽しい。今世界のどこかで…という誰しもが感じるあの感覚。ただし登場するのが動物だから人間社会の時間感覚とは異なる。
 悠長がすぎるくらいのスピードで水を飲むことも、逆に一瞬で通り過ぎてしまうこともある。彼らを見ていて、暇なのか忙しいのか見当もつかない。人間の尺度は一切当てはまらない。そこに心地よさがある。

 環境音も聞いてみよう。風が強かったり、画面外で鳥が鳴いていたり、常に何かしらの音がする。
 そもそも自然界に無音の空間というのはないはずで、この時点で私たちはジョン・ケージの領域に接近している。
 画面外の鳴き声から存在を感じ取る。なんとも映画的だ。ミシェル・シオンの理論が頭をよぎる。

 …とまあそんな小難しいこと考えなくても構図だけで十分楽しい。

ルネ・マグリットを思わせるキリンの並び
不自然に均衡が取れている
意味の誇張、シュルレアリスム
マカロニ・ウエスタン風に背を向け合う
早撃ちの美学
エンニオ・モリコーネの音楽が砂漠に響く
視線それぞれ
カメラ目線の奴もいる
『2001年宇宙の旅』のワンシーン
画面上のオブジェクト全てがモノリスに見えてくる
カッコ悪い飲み方
雲の遠近感が素晴らしい
不自然に重なる俳優の配置
奥の親子にフォーカスを当てる手法だろう
世紀末
やはり生き残るのはウサギらしい


 画面構成のミニマルさによって、配置の妙が際立つ。まるでアラン・ロブ=グリエのよう。違うのは俳優が人ではないという点、ただそれだけだ。

 おすすめはダチョウ。よく喧嘩していて、アホっぽい。

ロケ地


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