センスのない努力を続けてきた:『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2/3)【間違いだらけの読書備忘録(10)】
こんにちは、さらばです。
現在、以下の本について備忘録を書いています。
楠木 建 山口 周『「仕事ができる」とはどういうことか?』
1はこちら。
センスがあるひとの特徴
楠木さんは"はじめに"で、以下のように語られています。
この"はじめに"には、本書の趣旨がこれでもかというほど端的にまとめられています。『ストーリーとしての競争戦略 - 優れた戦略の条件』を読んだときにも思いましたが、楠木さんの本はこの冒頭の文章が実質的に本の端的な「まとめ」になっており、内容を振り返るときにすばらしく役立ちます。
で、上の言葉どおり、特に後半は「センスがいいということ」や「センスがいいひと」の特徴が具体的に語られていきます。
センスは文脈依存性が高い能力
例えばセンスというものは文脈依存性が高いということ。
スキルと違って個別の打ち手に対して効力を発揮するものではなく、総合に特徴があるため、特定の文脈で初めて威力を発揮する能力だということです。
これは要するに「通用する土俵が限られる」ということでもあり、自分の土俵をわきまえるのも、センスがいいひとの特徴です。
ただ一方で、特に若いひとが「自分の強みはこれです!」と語る内容はほぼ間違っているということが指摘されているのも興味深いです。確かに、まだあまり実務経験を踏んでいない状態では「こうであってほしい」みたいな願望が入りやすいものだと思います。
働いたことのない子どもに将来の(職業的な)夢を語ってもらうと、大抵似た(目立つ)職業を口にするのと似た話でしょう。
センスがいいひとは「インサイド・アウト」で考える
もうひとつ印象に残ったのは、センスがいいひととは「アウトサイド・インではなくインサイド・アウト」という話です。
例として、インターネットやIT、ECなどの"流行り言葉"にすぐ飛び付いてビジネスをしようとするひとは「アウトサイド・イン」、そうではなく自分のビジネスの本質を捉えた上で、必要な知識や技術を取り込もうとするのが「インサイド・アウト」です。
まず自分の意志が先に来て、環境に躍らされるのではなく自分のやりたいことのために環境を使うというのが、センスがいいひとのやり方です。
わたしはこのあたりのくだりを読んで、なんとなく自分の周囲を見て感じていたことを、見事に言語化していただいたような心持ちになりました。
ちなみにこの例としてNetflixが取り上げられているのが解りやすかったです。
Netflixという、今や最先端のサブスクリプション動画サービス事業者が、元々はレンタルビデオ事業者だったこと、その当時から社名が"Netflix"だったこと、彼らがやろうとしていることは昔も今も全く変わっていないことなどが腑に落ち、「なるほど。センスとはこういうことか」と納得しました。
センスとは「具体と抽象の往復運動」
また、本書の結論めいた話として、楠木さんの考える「結局のところセンスとはなにか?」というくだりがあります。
これは「センスの正体」と言ってもいいんじゃなかろうかと思ったのですが、確かにセンスがいいひとというのは常に「要するに」という思考を持っているように感じます。
具体的な物事が幾つも並んでいるところに「要するにこう」という抽象化を行って、自分の中に溜めておく。そしてその抽象化した「要するにこう」が適用できそうな具体的な物事が目の前に表れたとき「ああ、これはこうすればいいんだよ」とすぐに出てくるのが、「センスがいい」ということなんじゃないかということです。
そしてその蓄積が多ければ多いほど、具体と抽象の往復運動が早く的確であればあるほど、「センスがいいひと」ということになるのでしょう。
わたしは師匠によく「具体と抽象を行ったり来たりするトレーニングを積め」と言われるのですが、あれはつまり「センスを磨け」と言われているに等しかったのだなあ、と気付きました。
というわけで、今回は以上です。
次回は創作者的観点からの感想を書いて、結びとします。
お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!
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