ストリーミングサービスに依存していたら、映画をちゃんと観れなくなった
まあまあの映画好きの私。今現在「Netflix」と「Amazon Prime」に加入している。合算して月約1500円支払うだけで、膨大な映画やドラマ、ドキュメントなどのソフトを鑑賞できる。
ところが「いつでも観られる」「繰り返し観られる」「見放題」と、昔では考えられない夢のような環境が整備されているのに、不思議とそこに充足感を得られない。なんだか、ひとつひとつのソフトを大切に観ることができなくなってしまった。
その理由はいくつかあると思うけど、まず1つは「いつでも観られる」ということ。
「まあ今回はサクッとみればいいか」とか「途中まででやめてもいいや」など、なんとなく後回し感が出てきて「そのときに集中して観る」ということができなくなった。そして、たとえ集中力なく最後まで観たとしても、映画に没入できていないので深く心が動くこともない。
2つ目は、サブスクでは一定額のため、月々の支払も気にならなくなるので、「払った分はしっかり楽しもう」という気力にどうも欠ける。
では普段、映画館で観るときに、そういった心持ちがあるかといわれるとそうでもないけど、自宅だとその対価感がより薄まってしまうのだろう。
3つ目は選ぶのが単純に選ぶのがしんどい。
大量にあるソフトを見ていると、いつまでたっても何をみようか決められない。さあこの映画を観よう!という前に消耗しているのだ。
人間にとってたくさんにあるもののなかから「選ぶ」という行為はたいへんしんどいようだ。「選ぶ」という行為だけでひどく消耗させられているような気がする。結局は5〜6作品の中から選ぶのが、ほどよく決めやすいのかもしれない。
最近、中野にある「ポレポレ東中野」で『ゆきゆきて、神軍』を観た。すると2時間近くじっくりと集中して映画に没入できた。もし自宅でこの昭和のドキュメンタリーを観ていたら、集中力は15分も持たなかったかもしれない。
というわけで改めて映画館で上映している作品は、なるべく映画館で観ていこうと思った。コロナ渦で苦境にある映画館、少しでも力になれるのなら観に行きたいと思う今日この頃だ。