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激しく愚かな恋を喪って見つけた、ひとが生きる理由(1/4)【物語と現実の狭間(4)】

「好きだよ」

 とまっすぐ目を合わせて言われるたびに、わたしはなにかに許されたような気になって、胸のまんなかから手足の指先までじんわり温かいものが広がっていく感覚に酩酊した。
 あなたは物心ついて以来初めてわたしが寄り掛かることを受け入れてくれたひとで、お互いに"いちばん"だと言い合えることの安心感も、ひとの手が心地良い熱を帯びていることも教えてくれた。黙っていると無愛想だと言われがちなわたしが、意外と恋に没入するたちだということも、あなたと会うまで知らなかった。

 初めて会った日にはもう好きだった。あなたもそうだったとあとから知って、冗談抜きで運命だと思った。ちゃんと気持ちを言い合ったのは、二ヶ月と少し経ったあと。それまでの人生で間違いなく一番幸せだと言い切れた時間はロケット弾みたいに放物線を描き、どこかへ着弾する前にばらばらになって燃え尽きた。そこへ至るまでの期間は、八ヶ月。

 この恋をわたしは世にも特別なものだと信じていたし、あなたが死ぬまで一緒にいるひとだと疑いもしなかった。
 でもそれこそが、だめになった一番の理由だった。寄り掛かることに慣れきったわたしは甘えていることすら自覚できなくて、あなたに不満をぶつけるようになっていった。でもそれがいつごろからだったのか、いくら考えてももう解らない。
 まあ、よくある話だ。

 あなたはわたしを受け止めようとしてくれた。コップに入るぎりぎりのところまで、表面張力でもう縁からはみ出しているときに至っても、注がれるまま受け入れようとしてくれた。
 だけど、いくらなんでも300mlのコップに1Lは入らない。溜まって、溢れたあと、あなたはわたしにさよならを告げた。わたしは呑み込めず、戸惑いと混乱を怒りに変換した。やがてあなたが本気だということを悟ると、身体が砂のように崩れる絶望に襲われた。
 あらゆる手を使ってあなたを引き留めようとした。悲しみを表明し、謝罪の意を示し、ずっと一緒にいると言ったことを取り上げて嘘吐きとなじり、反省したから許してと乞い、あなたが必要だとすがり、時に冷静を繕って合理的な説得を試みた。

 わたしは完全におかしくなっていた。おかしくなったからあなたに切られたのか、あなたに切られたからおかしくなったのかも解らなかった。鬱々とした感情に押し潰されそうになって、幸せだったころを思い返し、やっぱり諦めるわけにはいかないと顔を上げ、自分なりに次の方法を考えては立ち上がる。そしてまた砕け散った。
 何度繰り返したか解らない。いつの間にかコートのいらない季節になって、ひとつ学年が上がっていた。ぼろぼろになったわたしは似合わない帽子を目深にかぶるのが日常になっていた。
 ひとの視線が怖かった。あなたがくれた、自分が世界にいていい人間だという確信を失っていた。あなたのいない人生に価値を見出すことは難しかった。
 あなたに連絡を取ることはやめていた。あなたがわたしを怖がるようになっていることに気付いて、少なくとも自分の取っている方法が効果的ではないことは認めていた。ちっとも冷静じゃないくせに、そんなふうに一部ではものすごく客観的で、まだ自分がまともじゃないことは十分自覚していた。こんな状態のままじゃあなたになにを言っても無駄だと気付き、とにかく心を回復させようと思った。だけどあなたなしで精神を安定させるのは不可能だとも思っていた。

 あるとき何気なく、さよならを告げられる少し前にあなたがくれた手紙を読み返した。
 その内容がずっとずっと続くんじゃないかと思っていた暗鬱な日々を終わらせるきっかけになるのだけれど、この時点のわたしはまだ、いつかあなたとの時間を取り戻せると信じていたかったのだった。

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