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手がしわしわだ。


ふと自分の手が目に入る。しわしわだ。自分の手ってこんなにしわしわだったっけ…。「手は老化が現れやすい」なんて言うけれど、それは本当だったんだと実感する。

アラサーになって、いろいろと身体の変化(加齢)を感じるようになった。29歳なんてまだまだ若いけど、これまで子供から大人に「成長」してきてそれが当たり前だと思っていたミレニアル世代とZ世代のはざまを生きる95年生まれにとって、人生で初めての「老い」を感じ始めたという変化は見過ごせない。

私が人生で初めて老いを感じたのは、29歳のとき、自分の手がしわしわだと気づいた時だ。こう書き記しておけばきっと5年後くらいに「そういえば初めて老いを感じたのは手がしわしわになったと思った時だったっけなぁ…」なんて思い出せるだろう。老いを感じるのが当たり前になった時、その始まりがいつなのかと自覚できる。

話をしわしわの手に戻そう。私の手がしわしわになってしまった原因は明確だ。私の手から水分を奪い、なんとなくくたびれた印象を作り出しているのは、水仕事のせいでもなく、冷え性のせいでもなく、紛れもなく紫外線のせいだ。老化の根源のほとんどは紫外線にあると思う。むかし働いていた化粧品会社では、肌の老化の8割は光老化(つまり紫外線のせい)だと散々叩き込まれた。そんな恐ろしい紫外線から自分を守るため、私は毎日粛々と日焼け止めを塗っているわけだけど、どうしたものかと悩んでいるのが手だ。

手に日焼け止めを塗っても、手を洗ったら落ちてしまう。外に出て目的地につくまではいい。目的地についたら何かしらのタイミングで人は手を洗う。トイレに行ったり、食事の前に手を拭いたり、私が塗った日焼け止めは必ずどこかで私の手によって落とされてしまうのだ。

そうすると私の手は紫外線の餌食になる。手はしわしわへの一途を辿る。

私が住んでいるメキシコシティに降りかかる紫外線量は恐ろしく多い。iPhoneのお天気アプリで紫外線指数を確認できることはご存知だろうか。今の時期の東京は昼頃の最高値で紫外線指数3くらい。「Moderate(適度)」と出ている。色は黄色。一方、メキシコシティでは午前10時で紫外線指数9を叩き出す。その後も容赦なく上がり続け、正午あたりで10を超えると「Extreme」という物騒な表示が出る。色はオレンジ・赤を通り越した紫。半端ない。

お分かりいただけるだろうか…

そんなわけで私の手は毎日「Very High」もしくは「Extreme」な紫外線を受け続けているわけだ。同世代の手より老け込んでしまうのも無理はない。かわいそうな私の手…。

この手が目に入る度に「ハンドクリームを塗ろう!」と思うのだが、「でももうすぐ食事で手を洗うから…」とか「すぐシャワー浴びる予定だから…」とか、「今つけても結局すぐに落とすことになるから」という日焼け止め同様の理論でどうしても後回しにしてしまう。ヨクナイ!

手は、もうひとりの自分。自分自身に見せる「私」。だから、磨いて慈しんで美しく

文・齋藤 薫(美容ジャーナリスト)

ハンドケアについて調べてみたら、こんな素敵な言葉が出てきた。確かに、手は自分自身から見えるパーツ。鏡を使わない限り自分の身体って見えない部分が多いし、わざわざ鏡で確認することだって少ない。もしかしたら手が一番目にしている自分自身かもしれない。

今日から手を”自分自身”だと思って、粛々と磨いていこうかな。「愛情をかけられた手」はきっと美しいはず。

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