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目覚めの準備

わたしたちは人生でいくつかの恋愛を体験すると思うけれど、そのどれもが同じ、というわけではないのです。

でも、目覚めていなければその違いに気づくのは難しい・・・

目覚める、というのは、どれだけ自分の愛に純粋であるかということ。

愛に純粋である、というのは、エゴと大きな距離を置いている状態、

心というより魂・スピリットに意識がより近い状態。

だから難しいんですね。

エゴはたくさんの策略をしかけてきます。

計算高く、常識的で、欲求を生み出し、欲求を満たそうと懸命です。

極めて「自己中心的」であり、「利己的」なのです。

わたしが愛している分、同じように愛されたい。

あの人よりもわたしをより愛していてほしい。

こんなに想っているのだからそれに応えてほしい。

わたしを本当に愛しているのなら、~してくれるはず。

ずっとわたしだけを愛していてほしい。

いつも一緒にいたい。

そういうエゴの欲求が自分を苦しめていくことになるのだけれど、それを本当に理解している人は少ないでしょう。

そういう欲求が生まれることが「当たり前」のことだと信じ切っていて、疑うことすらないからです。

かといって、欲求を無理に抑えても、それらがなくなるわけではありません。

それどころか、ため込まれたエネルギーのパワーは増大し、いつか爆発してしまうでしょう。

その結果、大喧嘩になったり、すれ違いを生んだり、別れに至ることも珍しくはありいません。

そもそもが、「相手を自分のものにしたい」というのがエゴの最大の望みです。

なぜなら、わたしたちはみな「不完全な存在」だから。

精神的にもですが、まず肉体的にも男性性か女性性のどちらかをより多くエネルギー化していて、一人の肉体単体では両方を同時に生きることはほとんど不可能です。

その不完全さを埋めるために、どうしても何かを必要とするのが人間の宿命。

お金だったり、仕事だったり、子供だったり、物理的なものでそれを埋めようとすることもあるでしょうけれど、エゴにとって一番欲しいのは「もうひとりのじぶん」であり、恋愛はもっともわかりやすくそれを手に入れるチャンスなのです。

人は、いきなり恋愛が始まるわけではありません。

まず、「恋」という段階から入っていくでしょう。

その「恋」の段階が、最も「相手を自分のものにしたい」という欲求が高まっている時期。

そのために、連絡先を交換したり、コミュニケーションをたくさん取ろうとしたり、何度も何度も会いたくなる。

その中で、お互いに、相手が自分のものになるだろうか?という駆け引きを行い、駆け引きがうまくいけばそのまま付き合ったり結婚したりするでしょうけれど、うまくいかなければ恋も付き合いも終わりを迎えるのです。

たとえツインソウルであっても、ソウルメイトであっても、始まりの段階にはエゴの介入が存在します。

けれど、目覚めている場合、即座にエゴを見つけ、それらと距離を置き、いったん静かな自分だけのハートの世界に戻ります。

ハートも自己中心的ですが、エゴと異なるのは「利己的」ではないこと。

そこでは、相手に対する愛情よりも、自分自身の内側にある愛の響きに感動し、喜び、至福を感じるのです。

だから、いってみれば、相手が自分のものになろうとなるまいと全く関係ない。

そばにいようといまいと、それも問題ではない。

自分が愛されているのかどうかすら意識に上らない。

相手に別のパートナーがいたとしても、そのパートナーすら愛してしまう。

自分が満たされている状態であると同時に、相手中心の心の動きになる。

ツインソウルの恋愛というのは、相手を自分のものにして完全になろうと目論むエゴをハッキリと意識きつつ、そのようなエゴには全く興味を抱かず、一切のはかりごとを必要としない関係でい続けることができるのです。

愛し合う、というよりも、愛を交感し合う。

愛を与え合う、というよりも、大いなる愛にふたりが包み込まれているように感じる。

愛しているという言葉すら全く意味がなく、必要のない関係。

そして、ひとたびそれを経験すれば、もう二度と普通の恋愛、エゴが支配する恋愛には絶対に戻らないのです。


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