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こちらは、「稀人ハンタースクール Advent Calendar 2023」に参加するために書いたエッセイです。カレンダーをクリックすると、「クリスマス」をテーマにした書き手のnoteを見ることができます。

ワン、ツー、スリーッフォーファイブ
ワン、ツー、スリーッフォーファイブ
足は肩幅に広げましょー
背筋を伸ばしてー
深呼吸してー

ミュージックー、スタート!

高校の水泳部で着ていたkappaのジャージを上下に着込み、ぴっちりジッパーは顎の下まで締めている。大野城サティ1階の隅にあるエアロビクススタジオ、最前列の真ん中の立っていた。隣には、G脳神経外科院長のG先生、そしてM製薬会社のMR・M子ちゃんがいた。

新卒でA製薬会社に入社した私は、M R(医薬品の営業)として働いていた。患者さんが多いG脳神経外科は、自社の医薬品を大量に処方してくれる大口顧客であった。患者さんが多いため、日中の時間帯に病院を訪問しても、診療が終わるまでの待ち時間が長い。MRにとって病院訪問のゴールデンタイムは、午前診療の終わりか夕方か夜の診療の終わりの時間帯。

患者さんが少ない病院は先生には会いやすいが売上は上がらない。1カ月間で担当病院、主要医師への面会を網羅できるように、週次のスケジュールを立てて営業活動を行うようにと教わった。タイミングよく先生に会えるスケジュールを組んで、病院を訪問することが一番効率が良いとされていた。

大口顧客となる患者が多い病院は、ゴールデンタイムを丸ごと捧げる覚悟でひたすら先生に会える時を待つ。院内で待つこともあれば、駐車場で待つこともある。患者さんの多いG脳神経外科を訪問する日は、お昼前から15時頃まで時間がつぶれてしまう。

私が受け持つ医薬品Jの売上の半分をG脳神経外科が占めていた。決して競合に切り替えられてはいけない大口顧客に認定されていた。他社があの手この手を使って攻勢もかけてくる。口座を守るための得策があれば良いが、院長の気持ちが何で傾くのかわからない。愚直に訪問することで、情報提供を続けるしかないと思う一方で、もっと効率よく営業できないものかと、いつも考えていた。

ある日、診察室でG先生と話していたら、
「エアロビこんね?」と、お誘いをもらった。法人向けの福利厚生がジムで使えるという。当時、50代くらい?の先生は健康のためにジムに通っていた。「エアロビですか?いいですね、やりましょう!」
運動もできるし、待ち時間を潰して病院で先生に会うよりも、エアロビで会った方が効率がいいと判断した。

似たような境遇にあるMR、M薬品のM子ちゃんも一緒に通うことにした。こうして毎週水曜の17時はエアロビクスの時間となった。何年も通い続けている先生は、一番ハードに体を動かすハイレベルクラスに参加していた。私とM子ちゃんも、同じハイレベルクラスに参加する。
腿と腕を交互に上げながら、いつも心の中でつぶやいていた。
1万錠!1万錠!

数字に貪欲な金の亡者だと罵られても仕方ない。
新卒で飛び込んだ会社で社会の厳しさを知り、悔しさを味わい、やれることをなんでもやってみようと、営業に燃えていた。

 新人研修を終え、福岡に配属された私に、大ベテランの先輩がどデカい電卓をくれた。「前川ちゃん、営業は、数字が命やで」と、先輩は言った。
働いていた会社では、年に4回インセンティブがあり、目標達成率によってもらえる金額に大きな差がついた。入社年次に関係なく、売れば売った分だけお金がもらえる仕組みだった。

 配属されて初めてもらったインセンティブは8万円。同時期に別のエリアに配属された同期には32万円の人もいた。なぜ?
引き継いだエリアの売上がそのままインセンティブに反映された。私が引き継いだエリアは前任不在のエリアだった。さらに、営業車を譲ってくれるはずの先輩が事故を起こし、修理までの2ヵ月間、車がもらえないことになった。電車で営業しといてーと言われた。

 家から担当エリアは遠かった。7月、スーツに首からタオルをかけて分厚い黒カバンを持って歩いた。そのうち不憫に思った代理店や他メーカーのMRが道端で見つけたら車に乗せてくれるようになった。スーパーの駐車場で挨拶をした見ず知らずのお母さんも、目的地の病院まで乗せて行ってくれた。こうなったらヒッチハイクで営業だ。車に乗せてくれた人が行く方向にある病院へ飛び込んではご挨拶。自分なりの型ができてきたが、1日に訪問できる軒数には限りがあり、同期から大きく遅れをとった。

その上で8万円と32万円、悔しかった。思うように動けないなかで売上にもインセンティブにも大きく差が出ることが悔しかった。車がもらえたら、徒歩や電車、ヒッチハイクでは行けなかった病院へ、ガンガン営業に行ってやろうと思いが募った。

 お尻に火がつく事件がもう一つ起きてしまう。
担当エリアに降り立つと、薬剤を納品してくれる代理店のおじさんに、「競合MRのところには手を出しちゃいかんよ、やったら3倍返しに遭うからね」と、忠告された。大ベテランの競合MRに怯えながら、大人しくにこやかに既存先の病院にのみ訪問を続けていた。

ところがある日、担当エリアの大口先を競合メーカーに切り替えられてしまった。大ベテランのメーカーのおじさんと忠告してきた代理店(卸)のおじさんがタックを組んで、うちの製品から自社製品に切り替えてしまったのだ。

やられた……。悔しくて悔しくて、腹が立った。おじさんの3倍返しが怖くてニコニコしていた自分に腹が立った。戦って負けたらなしょうがない。戦いもせずに負けた。

新人の若い女が来た、今のうちに切り替えてしまえ……という感じだろう。複数の顧客先に切り替え提案を行われていた。自分の置かれた状況にようやく気づいた私は、やれることはなんでもやろうと心に決めた。(もちろん、危ない橋は渡らない)

20年以上前、当時のMRは接待やゴルフをしまくっていた時代。経費で家を建てたMRもいると先輩たち噂話をしていた。今は規制が入り業界もMRの働き方もクリーンになっています!専門性も高く、やりがいのある仕事なので毛嫌いしないでくださいね。
「女の子は接待もゴルフもできないよね?」と、先生にも代理店にも言われた。上司に相談すると、接待もゴルフもガンガンやっていいよ!と返ってきた。

やることにした。接待もゴルフも囲碁もテニスもエアロビも、「仕事を通して経験の幅を広がるなんて素敵じゃないか」と、納得して取り組み始めた。西中洲で高級料理を食べ、自分では絶対行かないバーや秘密結社が集うような怪しいお店にも行った。人の命を預かる先生たちは、こうして計り知れないストレスを発散しているのだなあと大人の世界を知った。

MRの本業である学術情報で治療パートナーとして認めてくれる先生もいるので、医療業界で働くやり甲斐と、未知の世界を楽しむことのバランスを保ちながら、働き続けることがができていた。

 そして、2002年12月24日(水)17時、エアロビクスのスタジオにいた。
「クリスマスだからエアロビが終わったらフレンチでも食べに行きましょう」先生のお誘いで、夜は3人でフランス料理を食べに行くことになった。

「エアロビしてフレンチか……」
どうせ1日仕事なら夕飯まで食べてこようと思って快諾した。

再びスーツに着替えて移動する。営業車のマツダファミリアに先生を乗せて、フランス料理こじま亭へ。しっとりとした音楽が流れる店内は、ふたり組の男女で満席だった。暗めのスーツを着たいびつな3人組で、クリスマスのフルコースをいただく。メインは鳩だった、ということだけは覚えている。それ以外のことは、何ひとつ覚えていない。

先生を自宅まで送り届けて、家に帰りついたのが23時頃だった。
ただただお腹がいっぱいだった。

風呂上がり、テレビの音だけが鳴り響くワンルーム。映像はいらなくて、音だけがあればよかった。あぐらをかいて、コップの水を一気に飲み干す。

「仕事で高級料理を食べるより、
好きな人と一緒に食べる卵かけご飯の方がおいしいな……」

心から思った。

クリスマスが近づくと思い出す。
人生でたった一度きりのクリスマスイヴ。

1万錠に捧げた……
24歳のクリスマスイヴ。


クリスマスだというのに、お金だ数字だとガメつい話になってしまいました。「自分の時間を大切に使おう」と思うキッカケをくれた、ほろ苦いクリスマスの思い出です。
明日は、憧れの編集長・キノシタアヤさんの「いいお話」を楽しみにしていてくださいね!









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サオリス・ユーフラテス|正しい道より楽しい道を。最短距離より、寄り道を楽しんで。
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