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ザ・料理人 ~目黒 浩敬~

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地方から未来へ 田舎に生まれ、田舎で育ち、そして今も地方都市で暮らす私が、未来の子供たちに託していきたいことをお伝えします。
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目黒 浩敬 MEGURO Hirotaka

経歴 福島県新地町にて、1978年に生まれる。教師を目指し上京するも、アルバイトで料理の道に目覚め、飲食店などで調理の基本を身に付ける。その後、2004年に単身訪伊してイタリア各地の料理店で飛び込み修行し、本場の調理法や料理の飾り付けなどについて学んだ後、2005年に仙台青葉区で現在の前身となる同称「AL FIORE」をオープンする。が、程なく理想と現実の狭間で敢え無く撤退の憂き目に...。それでも開業の夢は諦めきれず、リベンジのための充電期間を経て、2007年現在の太

料理人を志すきっかけ

幼い頃からいつも、父親には口々に「お前は何になりたいんだ」と言われ続けてきたのを、今でも鮮明に覚えています。それもあってか、小学校中学年の時には教師になりたいと漠然と思っていました。中学時代における、英国への1か月間のホームステイ体験や良い先生に巡り合えたことがきっかけとなり、中学の英語教師を志すことになったのです。進学校を卒業して大学に進学し、教職課程で学びながら順調に時間が経過していき、大学4年の春を迎えました。それは、時代が変わっていった時期でもありました。親が異常

食に対する思い

教師から料理人の道へ転向し、とある都内のイタリア料理店で修行をさせてもらっていた頃、一つ一つの食材が正直あまり美味しくないと思ったのを覚えています。決してその店の仕入れる食材が悪かった訳ではありません。私の幼少期の環境が良すぎたのです。福島県相馬郡新地町は、海も山も川も田畑も、そこには全てが揃っていました。5歳の頃から、春になれば野山で山菜を採り、海で釣をし、夏になれば山で遊びながら近くの畑でトマトやスイカをかじり、秋になればキノコや木の実を採っていました。云わば「食育」とい

食材に対する思い

お店を営んでいると、いろいろなお客様との出会いがあり、その度にいつも感じる事があります。どのようなお仕事をされているのであれ、その方のお人柄が反映されているのだなぁ、と。それは、食材ひとつとっても同じ事が言えます。食材を扱う前に、私は必ずその生産者にお会いするようにしています。情報化社会のこの世の中で、手に入らない情報や物はないのかもしれませんが、生産者との信頼関係は、容易には築く事は出来と考えています。食べるのも、作るのも、提供するのも、全て人なのです。心を動かす料理を

こだわりの調理器具

こだわりの調理器具。実を言うと、最新の技術を駆使した調理器具の類は、お店には一つもありません。それが一つのこだわりかもしれません。キッチンにあるのは、ガスコンロ、包丁、鋳物のフライパンなど、ありきたりのものばかりです。最新機器を否定する気は全くありませんが、小さな工房には小さな工房の良さがあります。それは、一人一人の顔を浮かべながら、一人一人の料理を作ることなのです。心ある生産者の食材を扱う時、何一つ同じものはありません。たくさんの料理を一度に仕上げることが多い大きなレス

料理に込める思い

料理とは、料理を作るその人そのものです。言いきります。どんな食材や道具を選んで、どんな料理を作り、提供できるのか。人の心に訴えかけるような感動的な料理に、しばしば出会うことがあります。感動的な料理には、その料理の中にストーリーや情景、料理人が必ず見えてきます。味はもちろん大事ですが、あくまでそれは結果です。美味しい料理には、美味しい理由があります。人が美味しいと感じるのは舌ではなく、脳であり、心です。だからこそ、私はいつもお客様はどのような方なのかを考えます。性別や年代だ

料理人として目指しているところ

開業して、早10年になります。飲食店を始めた当初は、お客様に美味しい料理を提供することだけに一生懸命でした。より良い食材を求めて生産者を訪ね歩き、様々な本や飲食店で技術を学んでいきました。お陰様で、全国各地からお客様に通っていただけるようなお店となりました。それはとても喜ばしいことではありましたが、その反面悩みも増えていきました。来店されるお客様の約7割が県外からの、とりわけ食べることが大好きで全国各地を食べ歩いているような方なのです。全国各地で頑張っているシェフとの交流