大食いと製薬企業とクソどうでもいい仕事
会社員が働く理由は生活費を稼ぐためですが、働く理由はそれだけではなく「人の役に立ちたい」とか「仕事を通して成長したい」のような、副次的な理由も多くあります。
社会が豊かになり「食べていくため」に働くことが、比較的簡単にクリアできるようになったことで、人々は働くことに更なる理由を求めるようになりました。
しかし、人の役に立つことをイメージしながら働くことは簡単ではありません。医者であれば患者の命を救うことで人の役に立つことができますが、この様にわかりやすい職種は多くはないでしょう。
人が生活費を稼ぐために行っている仕事が、実は社会にどう役に立っているのか、想像力を巡らす必要が出てきます。
「クソどうでもいい」と決めつける前に
労働者にとって「人の役に立っている」という実感がいかに大切であるかをわかりやすく理解できる本があります。
2023年に『万物の黎明』という遺作が発表され話題になったデヴィッド・グレーバーの2020年に邦訳された『ブルシット・ジョブークソどうでもいい仕事の理論』です。一時期ブームにもなったので記憶に残っている人も多いでしょう。
この本でグレーバーは、資本主義社会が拡大して細分化を続けた結果、世界中に本質的には価値のない無駄な労働が溢れていると指摘しています。
そこで例として挙がっている業種は投資銀行の顧問や広告代理店の画像編集者などの高度なスキルが要求され、一般的には高給のイメージのある職種の労働者たちです。
給料は高く社会的評価も高い業種ですが、その仕事がなくなったとしても社会は特に変わらないような仕事のことです。
例えば、ホワイトニング製品の広告のために歯の画像を白く編集する仕事は、製品の実際の効果には何の影響も与えず、顧客の歯を実際に白くするわけではありません。グレーバーは、このような仕事が社会や個人にとって本当に価値があるのかを問いかけています。
本書で言う「クソどうでもいい仕事」は「その仕事をしている当人さえも自分の仕事が世の中から無くなっても社会は困ることはないと気づいている」というところが定義とされています。
つまり、労働者は誰もが自分の仕事の役割を本能的に求めているということです。
それでも、「自分の仕事もクソどうでもいい仕事だった」とすぐに判断はせず、少しだけ立ち止まって冷静に考え直してみましょう。
人の仕事は、仕事をしている本人が気づかないところで、実は誰かの役に立っているというケースが多く潜んでいるからです。
製薬企業における研究から梱包までの仕事と自分の関係性
まずは例として製薬企業でどの様に薬が作られているかを考えてみます。
製薬企業は創薬研究部門での数年間の研究を経て、動物を用いた試験の後に臨床試験として治験が実施されます。その後、国の審査に対して申請を届け、有効性・安全性・品質が証明されて審査を通過した後にようやく新薬として製造することが許されます。
その後は製品として世の中に供給を促すため、工場を通して製造から梱包まで、多くの社員によって行われます。
そしてMRと呼ばれる営業がクリニックや病院を訪問して医薬品の情報を正しく伝えていきます。
こうして世の中には薬が出回ることとなり、私たちが体調を崩した時や大きな病気になった時にも、クリニックや病院に行くことで薬を処方してもらい、薬局の窓口でその薬を手に入れることができるのです。
これら一連の研究から患者の手元に届くまでに非常に多くの労働者が関わっていたことがわかるかと思います。
詳細はプロフィールに書きましたが、僕は過去に胃の全摘出手術をしていることもあり、ビタミンB12配合の薬を食後に必ず飲んでいます。
通常食事によって摂取されたビタミンB12は、胃壁の細胞から分泌される物質と結合した後、腸で吸収されて肝臓で貯蔵されます。僕は胃を全摘出しているので、その胃壁の細胞から分泌される物質がそもそも出ないために、ビタミンB12欠乏症になってしまうのです。ビタミンB12欠乏症になるとヘモグロビンや血小板が生成されなくなってしまうので、重度の貧血に陥ってしまいます。
こういった事情を鑑みると、製薬企業の研究開発から工場の梱包、そしてMRによる営業に至るまで、このなかの全ての社員さんの仕事が僕の生活を支えていることになります。
あまり世間には知られていない仕事でも、こうして仕事は誰かの役に立っているのです。
大食いタレントギャル曽根のケース
製薬企業のような社会的な成果がわかりやすい業界ではなく、少し変わった職種からも、実は誰かの役に立っているケースを見出せます。
大食いタレントについて考えてみましょう。僕の世代で大食いタレントと言えばギャル曽根です。
僕は上述の通り、胃を全摘出しているので食事量が人よりも大幅に少ないです。今はリハビリの甲斐もあって人並みに食事ができますが、手術直後はうどん一本を食べて満腹に感じてしまうほどでした。
そんな状態の僕は、何故か大食いタレントのギャル曽根の番組が放映されると、釘付けになってしまうほど、その大食いっぷりを見続けていたのです。
肉まみれの大型の丼ぶりから、溢れんばかりの巨大なラーメンなど、次から次へと大盛りの料理を笑顔で美味しそうに完食するその姿は、一種のエンターテインメントとして視聴者から好まれていました。
彼女の仕事は大食いを通して世間にエンターテインメントを届けることです。面白いと思ってもらうことで社会的な役割を果たしているのです。
しかし、当時の僕は全く食事を食べることができない状況であるため、その様に食事をする姿を見せられることは、叶わない羨望の対象になってしまうことに繋がり、辛いことになるはずです。
それでも、当時の僕は食い入るように大食いをするギャル曾根の番組を見続けていました。
これは自分の代わりに食べてくれているような気がしたからです。
そして、たくさんの食事を美味しそうに食べている彼女を見ることで、自分もいつか美味しい食事ができるようになるのではないか、という気になれたからです。
ギャル曾根やそのほかの大食いタレントのみなさんは、おそらく当時の僕のような胃全摘の患者のことなど全く意識していなかったはずです。
しかし、この様に世の中には本当にニッチで、そして潜在しているコアなニーズが存在している可能性があるのです。
どの仕事がどこでどんな人の役に立っているのかは、仕事をしている当人には想像することが難しいものです。
「クソどうでもいい仕事」という判断をする前に、ほんの少しで良いので「この仕事も、もしかしたらどこかで誰かの役に立っているかもしれない」と、立ち止まって考えてみることをおすすめします。
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