【書籍紹介】井上道義「降福からの道」
「芸術以外に生甲斐なんか残されていないぜ。遠慮は芸術の敵だろう」
指揮者井上道義の初の単著、『降福からの道』。
これまで新聞、雑誌、公演パンフ等さまざまな媒体に寄稿したエッセイに、書き下ろしを加え1冊に編纂。自分を十二分に生きる、自分に誠実に生きることに欲張り(?)な随想と実行の記録。
数多くの寄稿エッセイを、5つのテーマで編みなおす
自身の半生を振り返りつつ、日々の出来事の中に生きる意義を見つめる「人生の道」、ショスタコーヴィチ等敬愛する作曲家についてや、ミチヨシ流音楽鑑賞術などを記した「音楽の道」、ヨーロッパ、京都、成城などゆかりの地についての思いを綴った「街から街へ」、巨匠たちへの追悼文や、エネルギーをくれた人々との交流を回想する「交差点」、コンサートの舞台上にだけ現れる世界について語る「舞台への道」。
各エッセイには執筆時の年齢を添えてあり、時を超えても揺るがぬ井上道義のエッセンスを感じつつ、同時代を生きてきた読者にとっては当時に思いを馳せながら読むことができます。
十三歳、「世界の美しさ」感じた
「未来だった今より」 二〇一一年四月六日 道義 64歳
僕は指揮者になろうと決めて五十年やってきて「今」を迎えていますが、十三歳までは指揮なぞ考えもしませんでした。どんな人でも、可能性いっぱいの子供時代を経て、何らかの名のつく「しごと」=役目を持って生きるのが近代の「普通」の人生です。演歌歌手、寿司職人、 農業を営む人、通訳、誰かの妻、指揮者……。何も役目のない人間は仙人などと名付けるのかもしれません。蟻や貝や鳥のように「ただの人間」を演じるのは実は大変困難でしょう。
思い出すことがあります。パリで、美しい蝶と蛾(さらに美しかった)が交互に何匹も並べられ、その横に、いくつかの貝殻(一見違いなく見えるが実は分類学的には遠い種類の)が並べられている小さな展覧会を見た時、僕の目から鱗と涙が落ちたのです。全ては名付ける側=人間側のたぶん文化と呼ぶものの中の問題にしか過ぎない、と。
音楽だけでなく多くの芸術作品、いえ全てのモノは、語られず、打ち捨てられたように扱われれば、人は価値を見出せない。僕自身、十三歳まで「世界の美しさ」を全くわかっていませんでした。ある日突然、学校の朝礼時に、《空は青い=美しい、木々は緑=すがすがしい、同級生の女の子=魅力的だ》と滝に打たれたように感じ、同時に、そんな肯定的な感覚を死ぬまで持ち続ける人間になりたいと願った。滝の側になりたい。何か生命力をぶちまける滝となっていきたいと。
十三歳の時未来だった「今」を書き続けようと思います。
(「Ⅰ. 人生の道」より抜粋)
目次
まえがきにかえて――わが王道へ戻る時
Ⅰ. 人生の道
十三歳、「世界の美しさ」感じた/十四歳の決心/幸福=肯定?/続・幸福=肯定?/優越感/ラあ〜あ〜♪/くすのきぐみ/全てを疑う/先生たち/兄弟子の受賞/達成感/帰省できない!/平らの/お天気人間/老いた一匹狼/続・老いた一匹狼/三月十一日/正夢か?/地球のために一番いいことは……/捨てられない/よそ者/おんな族/ヨナカの死/富士の裾野/慣れ慣れしい/今だった過去/冷戦を越えて/あなたもモーツァルト/生を大切に美しく……/私の好きな言葉、「美」/楽しみと孤独/心の玄関を開ける/バレエは太く短く?/二〇〇〇年を迎えるにあたって/分をわきまえないチャレンジを!/指揮? 作曲? 記憶?? ――メモリーコンクリート/追悼 まひる/欲望≠希望/爺が爺さん
Ⅱ. 音楽の道
シンフォニーの底に流れる歌 ――演奏家のみたシューベルト/もし「第九」が……/ロジェストヴェンスキーから聞いた話/真実のシンフォニー/グレゴリオせいか とわずがたり/メロディーとは何か/「能」へのアプローチ/子供を馬鹿にしちゃいけない/好き嫌い/ショスタコーヴィチの音楽/ショスタコーヴィチの交響曲の魅力は?「一言でいうとそのネジくれた部分だと思います」/オーケストラとは/グスタフ君のこと マーラーの演奏と指揮について(多少子供向けの文体で)――マーラーの音楽は若者のためのもの……/ミチヨシ流 音楽鑑賞術/Oh,能/明治維新は正しかったか?/指揮者とは?/青ひげ公の世界/歓喜もなく勝利も確信もない ショスタコーヴィチの十二番/モーツァルトは
Ⅲ. 街から街へ
ロンドンレポート/ミラノレポート/パリレポート/音楽が聴こえる町、冬のザルツブルク/気軽に公演会場へ/津山国際総合音楽祭/指定通り/時を超えるもの/市長選に立候補を考えた/ドレスデンと比べると/単年(丹念)に仕事をする?/古都ごとく経験になった八年間/踊り子指揮者
/成城町/多摩の丘にパルテノン!?/私有権/ナント/大阪
Ⅳ. 交差点
二人の巨匠と私 ――クーベリック、チェリビダッケ追悼/チェリビダッケの音楽と彼自身/どこまでが「先生」でどこからが「おっさん」か ――朝比奈隆の死を悼む/音楽への純粋な愛と喜び ――追悼クラウディオ・アバド氏/牛を食べ、時を食べて/平壌で指揮/キョーダイ/人=ホモ/バナナの心臓外科医/夏休み?/カンシンセン/人と人 国と国/スポンサー/指揮者の採点/国立劇場/スズキ・メソードとエル・システマ/月下美人/カルメン
/朝食/政治/思い立って……行けない/北朝鮮で第九初演/日常に歓びを/オーケストラと僕/エネルギーをくれた人たち
Ⅴ. 舞台への道
しふくかん/東京音楽大学/一回性を生きる/ヘン装してデル/響け 日比谷公会堂/「才能」/産地偽奏?/うそ偽りのない一体感/東京の>池袋の>人々の>中の芸劇/今日という日は帰ってこない/舞台の上
あとがき