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わたしの周りは、聴覚障害者であふれている。

聴覚障害のある方に、初めて出会いました

初めましての方に聴覚障害をカミングアウトすると、よく言われる言葉のひとつ。

でも、わたしはどうも腑に落ちない。なぜだろう。わたしの身の回りは、聴覚障害者であふれている。

正確にいうと、中学を卒業する頃までは、交流(運動会や文化祭など行事のときにろう学校に遊びに行っていた)で通っていたろう学校の生徒以外の聴覚障害者がいるとは知らなかった。でも、高校以降は同級生にも先輩にも後輩にも聴覚障害者がいて、今も聴覚障害のある同僚がいる職場で働いている。

それどころか、休日に外へ出かけると必ずと言って良いほど補聴器や人工内耳をつけている人や、手話をする人たちを見かける。世の中には、そんなにも聴覚障害者がたくさんいるのだろうかと、いつも不思議に思う。

一説によると、日本における聴覚障害の発生率は300人に1人と言われているらしい。そりゃ、1日に78万人もの乗降者数のいる新宿に行けば、聴覚障害者がゴロゴロいても、まぁおかしくはない。

それでもわたしは「聴覚障害者にはじめて会いました」と言われることが、少なくない。

・妊娠すると、この世に妊婦さんがたくさんいることに気付かされた
・子どもを産んでみると、子連れの大人がたくさんいることに気付かされた

みたいに、自分が当事者になってみると、同じ立場の人が見えてくるということは、往々にしてあると聞く。

わたしの聴覚障害についてもそれは多分当てはまっているんだろう。

中学までは、自分が聴覚障害者であるという自覚を正直あまり持っていなかった(と思う)。右耳は全く聞こえなかったけれど、全く聞こえないが故に補聴器を使っていなかったし(補聴効果が期待できないため)、左耳の聴力も今よりずっと良かったから補聴器を必要としていなかった。

でも、自分がきこえにくいということを自覚するようになって、同じ聞こえない友達を求めるようになり、補聴器を使いはじめて、手話を使うようになって……。

まずは、補聴器や人工内耳を付けている人をすぐに見つけられるようになった。「イヤホンなのか補聴器なのか、一目では分からない」なんてことも聞くけれど、多分わたしは絶対に見間違えない。それは、わたしが補聴器ユーザーだから

そして、補聴器や人工内耳をしていなくても、手話をしている人をすぐに見つけることができる。「ただ身振りが大きい人」なのか「手話をしている人」なのかも見分けが付かないと聞くけれど、わたしははっきりと見分けられる。それは、わたしが手話ユーザーだから

だから電車に乗ったり駅を歩いていると「ね。今の人、手話使ってたね。」とか「あの人、補聴器つけてるね!」とつい嬉しくなって一緒にいる聞こえる友人や家族にこそっと伝えたくなる。

そしてこそっとと伝えるとたいてい「sanmari、本当によくみてるよねぇ」とびっくりされる。みんな、わたしに言われなきゃ気付かなかったらしい。

それでも。わたしと出会って補聴器を日常的に見たり手話をちょっとずつ覚えてくると、「今日も街中で、聴覚障害者を見つけちゃったよー。急に湧いてきたわけじゃないだろうし、今まで本当に見えてなかったんだろうな」と教えてくれる人が出てくる。

補聴器や人工内耳を付けていたり手話を使う人たちがそこで困っていると
筆談したほうが良かったのかな?
あのタイミングで通訳した方が良かったのかな?
なんて、話題になったり。今まで「聴覚障害者=sanmari」のイメージが強かったけれど、他にも聴覚障害者がいると知ると、sanmariと話すときに大切な口の形を見せるとか筆談をするとか手話を使うとかそういうのが必要なのかな?と思うようになったよ、なんて教えてくれる。

世の中には、耳の聞こえない人だけでなく、目の見えない人や肢体の不自由がある人、他にもいろんなマイノリティのある人がごまんといる。そのいろんな人たちをちょっとずつ「自分ごと」に捉えてお互いが生きやすい世界を作っていけたら良いよなぁ……なんてことを聴覚障害者を見つけた友人からのひと言から思うのです。

そして、わたしも、もっともっといろんな方向にベクトルに向けられるように、いろんなことに関心を向けられる人でありたいな、なんて考える金曜日。

今週も、お疲れ様でした。

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🌻さんまり🌻
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