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そもそも見えないことには #音の世界と音のない世界の狭間で 生きにくいので。

ストレスとか疲労とかそういうのが溜まると、弱いところに出やすい。ちなみにわたしは、眼科系と婦人科系と呼吸器系。ものもらいができたり、生理不順になったり、喘息になったりする。学生時代は、季節の変わり目のたびに声が出なくなっていた。

ストレスでお耳が……みたいなのもよく目にするけれども、わたしの右耳は生まれつき全く聴こえないので、これ以上悪くなることがない。こんなにも全く聴こえない状態は耳鼻科の先生でもなかなか見ないらしい。

左耳は、物心ついた頃から年々徐々に聴力低下していて。これはもうストレスとか関係なく、緩やかに進行している。小さい頃は中耳炎になったり急にガクンと聴力が落ちたりもしていたけれど、だいたいそれは風邪を引いて鼻を啜り過ぎるからで。だから、突発性難聴みたいな症状は思春期に一回経験しただけ。

それよりも、とにかく一番は眼科系。

お耳がきこえにくいこともあって、わたしの情報源の多くは視覚情報。文字通訳や手話通訳を真剣に見る機会も多いし、周りの状況を把握するのにもやっぱり視ることは、とっても大事。

なのに、とにかくわたしの目はストレスに弱い。ちょっとしたものもらいのはずが、大病院への紹介状を渡されてそのまま切開をしたり。近視がひどくて、小2で眼鏡デビューしたり。その眼鏡は斜視の矯正も含んでいたから度がキツかったり。ドライアイが酷すぎてワンデイのソフトコンタクトは中1で諦めて、ずっとハードコンタクトを使っていたり。

耳鼻科よりも眼科に通う頻度の方が圧倒的に多い幼少期を過ごした。聴こえって外から見えないけれども、見た目は気づいてもらいやすいというのもあるかもしれない。斜視で焦点距離の合わない目は不自然だったし、近視でしょっちゅう目を細めていた子どもだったので。

うちの母も「小さい頃は、お耳のことなんてそんなに気にならなかったのよねぇ。だってもう今更どうしようもないじゃない。それより、目よ。焦点あってないのは気になるし、目を細めていたら人相が悪いじゃない。もうずっと気がかりだった。」と会うたびに言われる。

一応お耳に関しても、あの当時まだ症例数の少なかった人工内耳を検討したり視覚支援の多い小学校を選んでくれたりと何もしてくれなかったわけではないんですよ。おかげで今のわたしは、 #音の世界と音のない世界の狭間で それなりに楽しく生きているのでね。でも、耳はもう治らないと早々に言われたので。治る見込みのある目には、とにかく気をつけてもらっていた。

そうやって母がとにかく気にしてくれたおかげで、成長と共に自分で意識すれば焦点距離を合わせられるくらいにまで斜視は軽くなった。相変わらず近視はひどくて眼鏡生活なんて到底できないけれど、とりあえずハードコンタクトで矯正して日常生活に不自由がない程度には。(屈折させ過ぎても世界は歪むので、球面が小さくないと矯正できない)

でも、お目めがわたしの「弱いところ」であるということに変わりはないので、最近はちょっと疲れるとすぐにドライアイで目が開けられなくなる。もちろん、対応の目薬は常備しているのだけれども、痛くなった日は何をしても目が痛いので、点眼するだけで痛さに昇天しそうになる。

お耳について、右耳は補聴器や人工内耳を使うこともできないし、左耳もやっぱり補聴器をつけても完全な音環境は得られないから。もう、視覚情報は本当に本当に貴重。

だから、どちらか確実な方ということで小さい頃からビジョントレーニングを繰り返してきて、医療にも繋いでもらえて本当に感謝。だし、これからもストレスで見えなくなってしまったらそれこそなによりもストレスになってしまうと思うので。疲れた日は早めにコンタクトを外して、痛くても点眼をして、ご自愛したい。

そんなこんなで、点眼生活4日目です。

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🌻さんまり🌻
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