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2021.12.11 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる) 一芸と言えるものが、欲しかった。

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)

お稽古に行く道すがら、「今日は七十二候の中でどんな季節にあたるのだろうか」と暦生活さんのホームページを開くのが、ここ最近のルーティン。今日もいつものようにページを開くと、「閉塞成冬」の記事が一番上にあった。

「閉じる」うえに「塞がる」なんて、とんでもなく陰気くさい季節になってしまったものだなぁと思いながら読み進めていくと、本来の意味は「春から秋まで行われていた天地の交流が終わり、お休み期間に入るような感じ」だそうだ。

天の気は空に、地の気は地中に埋蔵されるという、冬籠りのスタートを指すこの季節。

東北の地で過ごした大学時代は、秋の終わりに各教室を巡らせた配管がカンカンと大きな音を鳴らして教室中を温め始めて、それだけでは心許なくなってきたちょうど12月の今頃になると、学生課の前に空の灯油タンクを持ち寄り、いそいそと重いタンクを運び合った。(女子の多い大学だったので、必然的にみんな力持ち)寒い夜の研究室や部室は、灯油ストーブなしに生活なんてできない。

だから、関西の大学院に進学した初めての年は、いつになっても灯油を配布する案内が来なくて本当にびっくりした。関西の人たちは、エアコンで暖をとるらしい。

それじゃあそんなに冷え込まないのかと思いきや、関西の山奥の大学院は、東北の山の上にある大学とさほど変わらない程度に寒かった。灯油ストーブが恋しくて恋しくてたまらない冬の日々、エアコンの暖房をつけっぱなしでいると乾燥がひどくて、部屋中のタオルというタオルを濡らしてから寝た記憶がある。

今暮らしている東京の賃貸マンションでも灯油ストーブが使えなくて、エアコンで暖をとらざるを得ない。灯油ストーブと比べるとなかなか室温の上がらない部屋で過ごしながら、研究室に泊まり込んで、エアコンと濡れタオルを駆使しながら好きな人の修論を一緒に仕上げたことを、この季節がくるたびに思い出す。

徒歩数分で帰れるはずの寮に戻らず、乾燥地帯の極寒研究室で夜を明かすことを選んでまで一緒にいたかったんだから、しょうがない。論文が煮詰まりすぎた夜は、お互いの家族のこと、好きなこと、得意なこと……そんなことを話していた。

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わたしには、妹が2人いる。

ひとりは3つ下で、小さい頃から書道をしている。小学校に入学したばかりの頃「この子の字は、誰にも読めない」と家族中がびっくりして慌てて書道教室に通わせたら、それが大ハマりで、高校大学と書道部に所属して書道パフォーマンスなんかもやってのけるようになってしまった。今では親戚中の冠婚葬祭で文字を書いている。

もうひとりは7つ下で、小さい頃からピアノをしている。昔からピアノが趣味だった母がわたしと妹にもピアノを教えてくれたんだけど、全くもって上達しないもんだから、一番下の妹にすべてを託したら、あれとあれよという間に音大付属の高校に進学してしまって、今ではピアノ課に通う音大生。高校入学のタイミングで地方から上京する程度には、ピアノが上手い。

そんな彼女たちの話をしていると、彼から「で、sanmariは、なにが得意なの?」と尋ねられたのだ。

大学で吹奏楽部に所属する程度にクラリネットが吹けて、大学院に進学できる程度に勉強ができて、その専門分野を手話で学ぶことができる程度には手話ができる。でもどれも「得意」と胸を張って言えるようなものではない。

そう思うと何も答えられなくて、黙り込んでしまった。沈黙の中、これはまずいことを聞いてしまったのかと思ったのだろう。彼は笑いながら「でも、sanmariは手話が得意じゃん」なんて言ってくれたけれど、わたしの心はモヤモヤとしたまま。あの夜は確か「わたしも、一芸が欲しいんだよねぇ…」と呟いて、そのまま眠りについた。

あれから数年。今日のお稽古で先生から「あなたのご姉妹は、どんなことをされるの?」と尋ねられて、彼に話したときのように2人のことを話した。

そして、「わたしも、ずっと、一芸が欲しかったんです」と続けた。

すると先生はにこにこと「欲しかったってことは、このお茶があなたの一芸になってきているのね。もう、着付けもできるようになったし、お茶もたてられるじゃない。これからの成長が、とても楽しみだわ。」と言って、最後の一口を吸い切った。

小さい頃からずっと欲しいと願い続けてきたそれは、もうすぐそこまで、遅咲きでやってきているのかもしれない。

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