暮らすこと、時が過ぎることの愛しさと恋しさと
今の家を借りるきっかけになった条件のひとつが、エントランスに宅配ボックスがあること。
聴覚障害のあるわたしにとって、インターホン越しの会話はなかなかにストレスフルなので、とても便利。もう、ほぼ全ての荷物をこの箱から取り出している。
そんなわたしの初めての一人暮らしは、大学院に進学するタイミングで、学内の寮だった。キッチンもトイレとお風呂も共用。だから、一人暮らしと言っても、ベッドとローテーブルを置いたらもう充分の小さなお部屋。
入寮すると決まったとき、それはそれはもう、心配事だらけだった。
補聴器を外しているお風呂とか寝起きとか、誰かに会っても会話についていけないだろうなとか。特にそういうときは、自分のたてる生活音にも鈍感だから、周りの人たちが迷惑に思わないかなとか。あと、火事になっても火災報知器が聞こえないかもしれないから逃げ遅れるかもしれない。
実際に生活してみて、同期たちはとにかく優しくて、朝晩に廊下ですれ違うと身振り手振りで挨拶をしてくれたし、お風呂では口の形をはっきり見せてくれた。多分わたしがみんなに話しかけられていることに気付かないこともたくさんあったと思うけれど、「なになに?」と近づいていくと何度も同じ話で盛り上がってくれるし、ちょっと疲れている日はあえてお風呂でスッと目を閉じてぼんやりしていてもそっとしておいてくれたり。
なんていうか、全部が分からなくてもこの人たちのそばで生活していることが心地よいなぁと思いながら生活していた。
けれど、ひとつだけ困っていたことがあって。それが、宅配物が届いたとき。
わたしの住んでいた寮は玄関がSECOMのオートロックになっていて、宅配が届いたときは「〇〇号室の△△さん、お届け物です」と配達員さんが放送をかけてくれていた。それを聞いて、みんなが玄関に出て荷物を受け取るというシステム。
がしかし、家に帰ったら補聴器を外したいわたしは、寮でもやっぱり部屋に帰ったら補聴器を外したくて。まぁそもそも前の補聴器では放送の音声も聞き取れたか怪しいレベルではあるんだけど、だから、大学の学務と相談してわたしの部屋にはピカピカ光るライトが導入された。
あの、今ドラマsilentで聞こえない主人公、想くんの部屋にもあるような。放送用マイクの横にあるボタンを押すと、わたしの部屋のライトがピカピカ光って宅配物がきたってわかる。
おかげで、部屋にいる間はピカピカ光るライトを見て荷物を取りに行っていた。
のだけれども、ある日部屋で隣の棟に住んでいた好きな人とメールをしていたら(彼は、なぜかWILLCOMでポチポチとメールでコミュニケーションをとりたがった)
とメールが来て、慌てて玄関に行ったらもうそこには誰もいなかった。ポストには、不在票がポツンと滑り込んでいた。
たぶん、いつもとは違う方が配達にきたんだろうけれども「えぇー、お部屋にいたのに!」とえらくがっかりしたのと同時に、放送というのは隣の棟にも聞こえてしまうくらい大きな音なのか、とびっくりたまげた。
そんな話を寮内の友人たちにしたら、わたしの部屋番号はときたま放送でもアナウンスされているらしく。それからは、わたしの部屋番号がアナウンスされると同期たちからピコピコとLINEでお知らせが来るようになった。ピカピカ光るよりも、ピコピコ鳴る方が早い。
わたしが玄関に受け取りに行くと、もう既に何人かが部屋から出てきていて「既読つかないから、代わりに受け取っておいてあげようと思ったの!」とニコニコしていて、受け取った荷物を足元に置いてそこから近況報告をし合ったり恋バナをしたりしたことも、何度か。
みんなの優しさが嬉しくて、放送をきっかけに同期が集まってわいわいする時間が楽しくて愛おしくて。
さっき帰宅したら、郵便ポストに不在票が滑り込んでいた。でも、今日のわたしはそれでも荷物を取り出せる。それを片手に握りしめて宅配ボックスから取り出した荷物が、あんまりにもひんやり冷たくて、あぁ冬が近づいてきているのねぇと思いながらふと、
人と暮らすというのは、あぁいうあったかいエピソードたちと暮らすということだったのかもしれないな
と、あの寮での愛おしい日々を思い出しては、みんなのことをちょっぴり恋しく思っています。秋ですね。ぴゅー。