「きこえにくい」のカミングアウト、実はとても緊張しているのです。
noteで、音の世界と音のない世界の狭間でなんてたいそうなマガジンを作っては細々と更新を続けるわたしだけれども、プライベートでも当事者団体で活動していたり自分達の権利をと声高らかに生きているのかと言われると、そうでもない。
役所や窓口みたいな公的な絶対に情報を逃してはいけないところに行くときには最初から声を使わずに筆談で攻めていくし、静かな場所でこじんまりと雑談を楽しむ程度なら聞き取れなくても相手が笑うタイミングで笑ったりこちらに視線が向いたタイミングで頷いたりしてその場を交わす。
それらはたいてい、この人とはその場限りの関係なんだろうなというときで、それなら相手を煩わせたくないし、わたしもわたしでいちいち説明するのが億劫だなぁと思ってしまうのだ。全く聞こえないと分かれば向こうだって筆談で話せば良いかとなるだろうし、後者については相手はわたしが聞こえにくいなんてきっと想像もしていないと思う。
わたしの耳は補聴器をつけても完全に聞こえるようにはならないし、かと言って全くの無音というわけでもない。まさに、音の世界と音のない世界の狭間のぐわんぐわんとした世界線を生きているのだけれども、わたし自身キコエルという世界を生きたことがないから、この曖昧さをキコエル人たちに端的に分かる言葉で伝えられる気がしない。
だからこうやって、マガジンとしていくつもの記事に分けながら、少しずつ言語化しているのだろうと思う。
そうは言っても、たとえば職場の人だったりこれからも関係を続けていきたいと思う相手を前にしたときに、わたしのきこえのことについて説明することは、避けて通れない。
わたしの場合、わりとスムーズに音声での発信ができるし、音への反応もまぁまぁ良いので、「キコエルように見えるけれども、実際はみなさんが思っているほどきき取れていません」という旨の説明をしないといけないことが多い。
これがまた厄介なのだ。
「思っている程ききとれない」ということは、すなわち普通ではないということで。「ではない」と否定する表現はあまり気持ちの良いものではないし、相手もどうしたら良いかわからなくなってしまうのだろう。
そういうときはこんな言葉を返される。
こう言われてしまうと、もうお手上げ。だって、大丈夫だったらわざわざこんな煩わしいカミングアウトはしないもの。
「思っているほどききとれない」には
わたしは、あなたとのコミュニケーションに困り感をもっています。でも、あなたとはこれから関係を深めていきたくて。そのためにはわたしのきこえにくさを知ってもらって、その場を楽しむ術を一緒に考えていきたいのです。
という、わたしの切実な心の叫びが込められていてわりと全然大丈夫じゃない状況だったりする。
コミュニケーションというのはわたしだけが話すわけでも相手だけが話すわけでもなく、やり取りが必要となる。そして、「きこえにくいんだよね」は相手からの発信をうまく受信できていないという意思表示。
この「大丈夫」と返してくる人の多くは聴覚障害者もとい障害者と出会った経験が少なかったり普通ではない障害者というワードに対してマイナスなイメージをもっている人が多いと思う。
だから、相手も悪気があるどころかむしろ気を遣ってくれた結果こう言ってくれているということは百も承知。そこから、もっと理解してほしいなと思えば一生懸命説明するし、なかなか厳しそうだなと思えばそっと距離を置く。そして、後者に至ることが圧倒的に多い。
こんなマガジンを書いているくらいだからわたし自身は聴覚障害があるが故に見ることのできる世界線に生きていることを誇りに思っているし、なんなら、このおもしろさをもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思っている。
なので、次わたしに「あなたが思っている程聞き取れないんだよね」と言われたら、「そうなんだー」と前のめりに話を聞いてくれるととても嬉しい。欲を言えば「どんなことに困っているの?」「どんなふうにきこえにくいの?」とおもしろがってくれたらもっと嬉しいな、と思っています。
これからも、音の世界と音のない世界の狭間で感じたことたちを発信し続けて、おもしろがってくれる人を一人でも増やしたいな……‼︎と常々思っていますので。