見出し画像

残酷な海老のテーゼ

(※残酷な表現が含まれますので苦手な方はご注意ください)


海老が大好きな少女がいました。
少女の誕生日の日、彼女のために家族5人で外食に行きます。

この物語はそこから始まります。



目の前には横に広がる長い鉄板。その向こうにシェフがいて、私たちに向かってにっこりと微笑んでいます。


私の両隣には父と母、さらにその向こうに兄と姉。今日は私の誕生日なので、家族5人で鉄板焼きに来たのです。

部屋は個室になっていて、私たち以外に誰もいません。左側には大きな窓があって、星が光っているのが見えました。


両親は私の頭の上でワイングラスを重ね、楽しいわね、たまにはこういうのもいいね、と朗らかに食事を楽しみはじめました。

シェフは慣れた手つきで、まるで自分がマジシャンかピエロかのように私たちの視線を独り占めして料理を続けました。

鉄板の上ではキノコやお肉なんかが焼かれ、目の前のお皿に少しずつお料理が運ばれていきます。


私にはまだおいしさがよく分からないのもあって、そういうのは両親に食べてもらいました。


しばらく経ったころ、
「さぁお待ちかねだぞ」
と父が言うと、シェフはとんでもない大きさの海老を取り出しました。

シェフの両手にもおさまらないくらい大きな海老。ひげが長くて、しかも動いています。

この海老のために、今日はこのお店にやってきたのです。(誕生日の日は好きなものを食べに行けるのが我が家の習慣でした。)


海老をリクエストした私ですが、まさか動いているとは思わなかったので、さすがに驚きました。


「お嬢さまがお誕生日だと聞いて、とっびきりのものを取り寄せましたよ。」シェフが私にむかってにっこりと微笑みました。

私は嬉しくて嬉しくて、こんなに大きな海老をお腹いっぱい食べられたらさぞ幸せだなぁとその海老に目が釘づけになりました。

シェフは鉄板にさっと油をひくと、まだ動いているその海老を鉄板にのせました。


途端。



プギューーー

海老が、泣きだしたのです。


この場合の泣くは鳴くが正しいのでしょうが、小学生の私には海老が泣いているように聞こえました。


ピュエ――――ピュイ―――



海老が泣いて、体をばたつかせています。
にもかかわらず、シェフは笑顔で海老を上から熱い鉄板におしつけます。

さっきまでニコニコと楽しそうにお料理していたピエロが、突然ホラー映画に出てくる殺戮ピエロになってしまったようです。

さらに、シェフは海老の上から油かお湯かわからない液体をかけ、ドーム型の銀色の蓋で海老を覆ったのです。


少しくぐもった声でなおも海老は泣き続けます。

ピュイ――――――・・・・・・・


私はその情景に凍り付き、海老の泣き声が耳に刺さって、しくしくと泣き始めました。


私が泣き始めたのを見て、私以外の全員がギョッとしました。
シェフはうろたえ両親に目配せをし、両親は「大丈夫大丈夫」と私の背中を撫でました。

何が大丈夫なもんか。
海老が泣いているじゃないか。

なんてひどいことをするんだ。信じられない。
ニコニコ笑いながら海老を鉄板に押し付けるなんて。このシェフ、サイコパスだ。しかもそれを大丈夫大丈夫って言う両親も、どっかおかしい。

こんな、目の前で生きたまま鉄板に焼かれた海老、食べられるはずがない。

いつも私が美味しい美味しいと食べている海老は、みんなこんな風に生きたまま焼かれたり茹でられたりしていたのか。そしてピギューとか泣いているのか。だとしたらシェフはこのピギューに何も思わないのか…!

考えれば考えるほど、涙は止まらなくなりました。

ドーム型の蓋から少し飛び出していたひげはなおも動き続けていました。


そしてしばらくすると、海老の泣き声は聞こえなくなりました。

重く暗い雰囲気の中、部屋は海老の香ばしい香りで満たされています。



このまま海老を放っておいたら黒焦げになってしまうと思ったのか、シェフは銀の蓋をあけました。

真っ白な湯気の中から、色鮮やかに、こんがりと焼けた海老があらわれました。

「わー!おいしそう!!」
兄と姉がわくわくと目を光らせています。

シェフは私とは目を合わさず、だけど笑顔をはり付けたまま、海老を切り分けました。そしてそのふっくらとした身を順番に、家族全員に配りました。もちろん、私の前にも。


耳に焼き付いた海老の泣き声が、苦し気なひげが、私の心を支配していました。あんな……かわいそうな焼き方……。母の顔を見ました。困ったような、心配するような笑顔でした。父を見ました。私とは目を合わせないように、姉の方を向いていました。

兄を見ました。「うまっ!」と言いながら海老を食べています。



数分、海老の身と見つめ合ってから、目をつぶって海老を頂きました。


うぅ……おいしい……

こんなおいしい海老、食べたことない…



涙がぼろぼろと流れました。

なんの涙か分かりません。

悲しいのに美味しい。

誕生日なのに苦しい。

苦しいのに美味しい。


美味しいと思ってしまう自分の心も嫌だったし、やっぱりあの海老の苦しげな姿が頭に焼き付いていたけれど、それは人生で一番おいしい海老でした。


まだ涙は出てきたけれど、泣きながら「おいしい」とつぶやくと、シェフはようやく安堵して次の料理に取り掛かりました。



食べるということは。
こういうことなんだ。
とか、当時はそこまで深く考えたわけではありません。


ただ、私が食べるものは、食べる前は動いてた。
それを強烈に体験させられる出来事でした。


今もなお、耳に残る海老の声は、きっと私の何かを形作っています。


(よく考えると、あれは泣き声じゃなくて水分を鉄板に押し付けた音だったのかもしれない、と思い、30年後の今日調べてみました。そしたらやっぱり鳴き声でした。伊勢海老は鳴くらしいです)

#なんのはなしですか


この記事がよければサポートをお願いします。iPhone8で執筆しているので、いただいたサポートは「パソコンを購入するため貯金」にさせていただきます。