コロボックル物語

自分が本を好きになったのは、いつのことだったか。
小学生の頃、図書館から借りてきた本を5冊くらい一気に読んだ記憶がある。もちろん、小学生向けだから大きな文字で、スイスイ読める本だ。カメラちゃんとか、ケストナーとか、かぎばあさんとか、岡田淳さんもすきだったな。
1日で読んだというちょっとした得意げな気持ちと、大好きな世界が終わってしまう寂しさと、同時に感じたあの頃を思い出す。

佐藤さとるさんのコロボックルのシリーズと出会ったのはもっと後で、小学校も高学年だったかもしれない。大人に片足突っ込み始めたと勘違いしていた私だったが、いつか小人が目の前を通るのではないかと、ドキドキした。

だから、娘の夜の読み聞かせには、まだ早いかな?と思ったのだ。が、有川浩さんのコロボックル絵物語という絵本が意外にもハマりそこから本家に入り、毎晩の夜の楽しみになっている。これは、絶対に買おうと思った。家にあるとまた小学生になったときにふと手に取れるだろう。きっと大切な本になる。

だが、実際に読んでみると、昔は感じなかったじれったさを感じる。
どんどん展開する最近の動画やアニメなどと違い、肝心のコロボックルが、なかなか姿を表さない。
見た気がする、というところから、とうとう主人公が大人になってしまうという展開。そんなだったかしら?と思いながら読み進める。

丁寧な時代背景と描写と、主人公の心の動き。絶対にコロボックルを見つける!という意気込みよりも、コロボックルのいるであろう山を買いたい。という現実的だが、ちゃんと普通の生活しながら、じわじわ温めている思いが続く。
6歳の娘には飽きてしまうのではないか。
そう思ったのだが、1、2話読んで、今日はここまでというと、「もう終わり!?」。やだやだと駄々をこねたのだった。

そして、意外と内容をよく覚えている。
世話役、など難しい言葉も出てくるので、それって何?と聞きながら、聞いている。フィクションとファンタジーの間にいるようなこの年齢で、コロボックルはどう写っているのかな。

そして、1話、1話、読んでいく事に、少しずつ読むときの、あー良いところなのに気になるー。という娘の気持ちが、とても良く伝わって、私にもその気持ちがあったことを思い出した。

ああ、最近わたし、動画やインスタやつぶやきや、軽く読める短編ばっかり読んてるなぁ。もったいないと思いながら少しずつ読み進めるワクワク感を、最近味わっただろうか。
そこで、2週間に一回、娘の図書館に行くついでに、私の本も一冊だけランダムに借りることにした。読書のリハビリみたいだけど、2週間に一回の大事な一冊、選ぶときにもワクワクする。

レインツリーの国、面白かった。和菓子のあん、かろやかな感じだったなぁ。かもめ食堂も良かったけど、次はもっとガツンとしたのも読めるかな。

娘のお陰で、本の良さを再確認し、やっぱりコロボックルは名作なのだなぁと思った。あんなに主人公と一緒に待ちわびて待ちわびて、コロボックルと出会うのだ。そりゃあ、こんなにも出会いを鮮明に思い出せるわけだ。私も会えるかもしれないという期待を添えて。

地味で小さなことだけど、よく生きるヒントって、色んな世界を持つことの中にあるのかな。歌やゲームやダンスや、スポーツや、それでもきっと良い。でも、本は、誰かが丁寧に丁寧に届けたい思いで書いた文章を、親子で共有して楽しむことができる。それって、ほんとにありがたい嬉しいことだな、と思う。

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