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【雑記】幽霊ってなんでしょうね?大多喜城の城山の幽霊や如何に

いきなりですが、幽霊ってつくづく何なんでしょうね。ふと過去にここに書いた幽霊話を読み返してあらためて思いました。

幽霊ってものは、自分では分かっているつもりでも、それを他者に具体的に説明する際に、色んな表現法で伝えようとした途端に陳腐になります。

(幽霊って、こういう静かさと唐突さがあるんですよね、伝わるかな?)

上記の挿絵は、その一年近く前に書いた趣味の(自称)児童文学『大多喜無敵探検隊』の中の挿絵で、大多喜城の城山の幽霊の一人だったお爺さんの絵です。
なんというか、幽霊ってもんは、その遭遇の瞬間、当事者だけにはどこまでも普通の『相手』だったりすることが多いように思います。ただその後、その『相手』の挙動を振り返った際などに、どうもキツネにつままれたような不思議な違和感が残るという。。
(この手の話、私は過去に何度も経験ありますヤレヤレだぜ '`,、('∀`;) '`,、)

 そこで話は原点にいきなり戻りますが、この大多喜無敵探検隊という私の趣味の(自称)児童文学(?)に書かれた物語は、実は大なり小なり『事実』でありまして、一つの話の中に幾つかのエピソードを詰め込んだり、受け入れやすく脚色して多少愉快にさせたりはしてますが、基本的には私のリアルな体験話です。だからよくある物語のように毎度うまい具合にオチが作れない場合が多々あります。第一それをやっちゃうと全く別の読み物になっちゃいそうですしね。つまり大多喜無敵探検隊は格好よく言うと『昭和のドキュメンタリー』、ドキュメンタリーにオチなどあろうはずがありません!(開き直り)、但し問題になりそうな登場人物たちの名前はそれぞれ変えてあり、さらによく登場するユーイチやヒロツンに至っては、私が大人になってから出会った友達たちで、この物語の中の彼らはその小学生版です。それを当時よく一緒に遊んだ近所の子供たちに転写する形で誕生しました。ついでに白状(?)しますと、含みを持った言い方にはなりますがこの世に今も存在する実名の大多喜無敵探検隊メンバーは、今のところ、この私を含め3人だけです(2024年1月現在)。
でもこのように、話の本筋自体は案外ガチな私の経験談『大多喜無敵探検隊』です、そうなると冒頭の大多喜城の城山の幽霊話も『どうなんだ?やはり出るのか?』と思われるでしょうが、、この件に関してだけは、明確に発言することで各方面に宜しくない影響が出るといけないので、敢えて濁したいな、と‥。幽霊屋敷が好きなイギリス人ならいざ知らず、日本人の中で心霊スポット認定されて喜ぶ人は殆どいないんじゃないでしょうか。ただ、そんな場所は何も大多喜の城山だけではなく、房総南部一帯には本当にたくさんあります。故に房総南部、そして南東部など、あの界隈の夜道は今でも気を付けたほうがよいですよ、過疎地で夜も早いですしね。逆に房総南部のその手のスポットは、知られていない分だけクセがわるい、そこかしこに地雷が埋まっているようなものなのです。
自爆誘爆ご用心( ̄▽ ̄)ニヤリ

 ちなみにこの幽霊話に登場するお爺さんの名は『小諸七兵衛』といいまして、私の好きな干しそば生産メーカー信州ほしのさんの看板商品からその名を(勝手に)拝借しました。

(その当時のウチの先祖と小諸七兵衛氏の、あの世での再会の宴の様子)

戦国時代の末期、里見家の重臣である安房の正木の軍の、その将の一人だった小諸七兵衛さん、しかし安房国から上総国への遠征の折に、戦で胸に槍をうけて絶命、以来大多喜の城山の幽霊の一人として何百年もの間あの辺りを彷徨い、大多喜の町の移ろいを只ぼんやりと眺めていたようでしたが、死後400年近くが経ち、昭和52年に当時の戦の死者を弔う祠が建立されることで、ようやく七兵衛さんは敵味方含め多数の武者達の霊と共に、無事に成仏できました。そして彼はあの世でウチの遠い先祖たちとも再会できて剣菱けんびし(私の好きな日本酒)で乾杯できたとメデタシメデタシ‥
しかし、小諸七兵衛さんだけならまだしも、なんでここでウチの先祖の一人が出てきたのかというと、大多喜の城山の幽霊って、平たくいうと戦国時代に大多喜城を奪い取るために攻めてきた側と守る側の、ようは戦で散った武者たちの霊ってことでして、、そして同時代のウチの先祖衆は、まさに正木の軍でして、大多喜城に攻める側として、ここに何度か来てたようなんですね。その家伝や郷土史の史実を基に話を膨らませました。
まぁ~『城山で何度か遭遇したお爺さんの幽霊』ってだけじゃ『小学生の私が体験した少々薄気味悪い心霊話』で終わっちゃって、面白みも何もないですもんね(あ、言っちゃったかも!)。

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