【雑記】佐奈田堂-26年使うハンドルネームと900年続く私の名字の由来
先ほど、このnoteのTOPページを何気なく見ていたら『名前に関するエピソードを教えてください!お題企画「#名前の由来」を募集します』というのがあったので、せっかくなので雑記として更新します。それにしても最近は雑記ばかりだなぁ、この私のnoteの本題である大多喜無敵探検隊-197Xが全くおざなりです、次こそは書きます・・。
1.『佐奈田堂/眞田堂』26年使うハンドルネーム
私のハンドルネームの『佐奈田堂』については、特に深い考えがあったわけではなく、当時必要に迫られて即興で名乗ったものです。1996~1997年頃に、知人と一緒にインターネット上にて副業で色々なプログラムなどを売っており、私の名字を元に商店的な『○○堂』と名乗り、一種の屋号として使ったのが始まりで、当時は『眞田堂』とも表記していました。
この副業サイトにはもう一つ表の顔がありまして、そちらは機動戦士ガンダムの3DCGや、同じくガンダムのプラモデルで作ったジオラマを、実写と合成して展示した戦場写真展サイトでした。前出の副業サイトを閉じて久しい今でも、このガンダムの趣味サイトだけは懐かしさもあり、当時のまま絶賛放置体制で公開を続けております。↓
※以下は、その一例‥
・・まぁーそんな感じで、日本でインターネットが始まった頃から、私が色々なところで一番多く使っているハンドルネームが『佐奈田堂 / 眞田堂』でして、今年でかれこれ26年になります。すでに四半世紀のお付き合い、ここまできたらもう立派な名前ですね、私のもう一つのアイデンティティといっても言い過ぎではないように思います。
しかし実のところ、私自身はこのハンドルネームに特段の強い思い入れがあるわけでもなく、ようは自分の名とほぼ同じですので使いやすいということと、他のハンドルネームをいちいち考えるのが面倒だというところで現在に至っている次第。そんなメンド臭がりな私ですので、仮にこのハンドルネームで様々なサーチエンジンで検索すると、ほぼ毎日食べてる干しそば写真ばかりのInstagramをはじめとして、軒並み私のSNSやblogが幾つも出てきます。ただ私の仕事柄、本名で表示される検索結果内容とは別になるように多少調整しております。
2. 佐奈田(眞田)-表記について
そして私の名字についてですが、実は『佐奈田』という表記は、古文書や郷土史などを見ても、うちの場合では精々鎌倉時代~室町時代ぐらいまでのものでして、それ以降は主に『眞田』や『真田(新字体)』と漢字2文字で表記されるようになりました。
同じ『サナダ』ながらも、戦国武将で有名な真田幸村さんの信州真田家とは、表向きには直接の関係はなく、さらに『サナダ』という名前だけの話なら、うちの家系の方が彼らより更に400年以上も昔から名乗ってます。記録の限りでは900年ほど前から名乗っているようですね。
・・まーだから何だといったところですが
'`,、('∀`) '`,、
3. 佐奈田(眞田)-由来について
ついでに、この私の名字『佐奈田』の由来についてですが、現在の地名でいうと神奈川県平塚市真田、当時の地名では相模国大住郡岡崎郷佐奈田村からの呼称で、900年ほど昔の我が家の遠い先祖が、その地域の小豪族だったことから、うちはこの名字になったようです。
では、そもそもこの『サナダ』という呼称自体の由来は何かといいますと、それもある程度分かっております。
以下、私の個人blogで過去にまとめた内容から抜粋します。
【A】奉納用の田んぼのある地域
神にお供えすることが前提で一般には手をつけない、もしくは神にお供えすることができるぐらい一級品的な米を採った地域(田んぼ?)のことを昔から『サナダ』と呼んでいたようで、古くは日本書紀にも『狭名田(さなだ)』と出てきますし、かの天照大御神が始められたといわれる五穀の田畑も『天狭田(アマノサナダ)』と呼ばれているそうです。
【B】苗代を育てる田がある地域
『苗代田(サナダ)』という書き方も、その昔の文献にあったようです。そもそも『苗代(なわしろ、なえしろ)』とは、種籾(イネの種子、籾殻つきの米粒)を密に播いて発芽させ、田植えができる大きさまで育てるのに用いる狭い田のことでもあり、つまり大元の田んぼ、重要度の高い田んぼということでしょうか。また、『サナ』は『サネ(種)』を指しますし、大元の『サナダ』の読みはこの苗代田から来たのかもしれません。いずれにせよ、良い実がなる(?)田んぼ、というプラスイメージでしょうか。うちの家系の相模&房総の眞田の古い表記のひとつ『実田(さなだ)』という文字も、ほぼこれに近い意味合いで、素直になるほど!と思わせるものがあります。
【C】狭い田んぼがある地域
もうひとつのパターンは『狭ノ田』を指し、山合いの田んぼのような狭隘(狭い)な田んぼを指してるというのもあります。これに非常に近い表記で『狭長田』という表記もあります。
そして以下は、この引用元の私の個人blogの一編です。
まぁそんな我がイチゾクですが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でいうと、まさに第一話の時代の頃に、故あって主だった郎党を引き連れて浦賀水道対岸の房総半島南部、安房国朝夷郡三原郷(現:千葉県南房総市和田町の三原川周辺)へ引越してきました。
平安時代の我が家は神奈川県の大豪族『三浦党』の一派でしたので、三浦党に敵対する大豪族へのけん制と、そして時代的にも源頼朝公の決起に備えた配置転換だったんじゃないかなとも思います。房総に渡ってきた際の領地は、安房国の三浦党勢力範囲のフロントライン(最前線)、ようは平清盛側だった安房国の大豪族『長狭』さんの領地の、まさに真ん前が我が先祖の新たな領地でした。村単位から郷単位と領地は格段に広くはなったものの中々激しい状況ですよね。ようは敵との境界を塞ぐような形での布陣ですものね、大豪族の長狭さんに対して、あまりに挑発的すぎます。
まぁーそんな場所に布陣した当時のうちの先祖とは、さぞかしオラづいた人だったのでしょうね。気弱じゃやってられないでしょう。
そこからずっとうちの家は房総南部の小豪族をしていたようでして、時代が下った戦国時代には、里見氏や正木氏に取り込まれ、重鎮として本家や本家筋を筆頭に、それなりの人数の房総のサナダさんらが活躍(?)していたようです。あの辺りの市町村の郷土史を読むと、不意にうちの一族の誰かが、その行間からヒョイヒョイと顔を出すような、そんな塩梅です。
では、こんな渋みの利いた話をカラッと話す私は一体ナニモノかといいますと、その平安時代末期からの本家筋の末裔の一人でして、多分うちの家系に関することでは、今の時代では私が一番詳しいのかもしれません。
でもまぁ、お金もなく財産らしい財産も既に今の時代には全く残っておらず、この通り大した家系ではございません。
されどもこんなポンコツで死にかけてる古い家であるが故に、思い出話や昔ばなしだけは売るほど大量に詰まってるわけでして‥、ひとつ例を出すと、実はうちには家紋が2つあり、その一つはエライ人からいただいた拝領紋だったりします。その由来として、今までは戦国時代末期に、水戸黄門のお婆さんになる『お万の方』を救出した功績などで正木さんからいただいた拝領紋とばかり思っていましたが、どうもそうではなく、平安時代の終わりに、房総で源氏の軍勢が長狭氏を殲滅した際の武功で源頼朝公から源氏の紋章『笹竜胆』を拝領紋でいただいたものだそうです。
・・本当かよ(;´∀`)
うちの系統は桓武平氏ではありますが、普段はこの拝領紋の源氏の家紋を使用している次第です。
でもこのような先人たちの足跡が、家伝や口伝だけじゃなく、幾つも史実として地域に残っていることが、ちょっとだけ嬉しかったりしますし、また、そういう史実を知るたびに、自分自身も、もっと色々しっかりしなきゃイカンなーと考えさせられます。少なくともお天道様に顔向けできないような無責任な生き方は、まかり間違っても出来なくなりました。
そうそう、こんな我が家、こんなササヤカな我がイチゾクですが、その歴史に関することで昨今少し残念だったことがありました。それは平安時代末期の縁者だった佐奈田義忠さん(佐奈田与一)が、物語進行上の都合なのか何なのか、先の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で全く存在しないものにされてしまったことですね。与一さんは源頼朝公と、とっても仲が良かったはずなのになぁ。彼を出しちゃうとそっちで話が盛り上がり過ぎて、番組の尺を喰っちゃうからなんだろうか‥。安房国の豪族も安西景益さんと、三浦党に敵対していた先の長狭常伴さんが本当にチョロッと出ただけ、年始早々ガッカリでした。でも佐奈田与一さんの父親の岡崎義実さんはガッツリ出演してたんですよね、何でなんだろうなぁ酷いよなぁ(岡崎さんはうちの先祖の義父という話もあり、深いつながりがあったようです)‥。
お陰で私はNHKと三谷幸喜さんが嫌いになりました。
・・NHK爆発しちゃえばいいのに(´・∀・`)
4. 中世 房総の豪族 佐奈田(眞田)の史跡
●摩崖の五輪塔(南房総市指定文化財)
我が家の一族の、最も古い墓と云われる摩崖の五輪塔で、南房総市指定文化財です。この山の斜面に掘られた古い祠は、千葉県南房総市和田町中三原の 正文寺(普門寺)に今もひっそりとあり、たまに近くに寄った際は、家族で墓参り?してます(ナムナムナムナム・・)
この祠が建立された時代は、歴史研究家さん曰く13~14世紀ということですが、うちの家伝ではそれより100年ほど古い12世紀~13世紀と云われています。
●諏訪神社
遠い先祖が、貞応年間(西暦1222~1224年)に建立したと伝わる諏訪神社です。南房総市和田町中三原唐ケ作の里山の奥にあります。木々が鬱蒼と茂った山の中だけあり、参道は勿論、お社も苔むしており、まさに『もののけ姫』のような世界が広がっております。