佐渡人の短歌
今住んでいる佐渡の家は元々遠縁の不動産でして。かなり家にあった物を処分しては下さっていますが、それでも昔の書籍などが客間の本棚に残っていたりしています。
読むも処分も自由、という事でほとんどそのままにしてありますが、町の歴史の本などもあり、興味深くパラパラ捲ってはいますが中々じっくり読む時間もなく。
現在家人が首都圏へ行って留守ですし、外は雨で畑にも出られないので昨夜から見ていたら、その中に自費出版の短歌集がありました。
「操園」高橋ミサヲ
お名前を見ても全く存じ上げない方で、出版されたのが昭和60年なので、ここに住んでいらしたおばあさんのお友達か親戚かと。
高橋ミサヲさんの子供達6人が喜寿のお祝いに歌集として出版し、プレゼントしたようですね。なかなか素敵なお祝いです。
私にとっては全くの他人ではありますが、かなり立派な装丁で、今まで見たこともないような上質な厚手の紙で作られているのを見て心惹かれ、読んでみることにしました。
旅先で詠まれた歌もありますが、佐渡での暮らしの中で詠まれたものがほとんど。
あぁ、あるある!
と思ったり。
ああ、昔はそうだったんだ…
と時代を感じたり。
なので、ちょっとここで幾つか書き写しておきますので、ご興味があればおつきあいのほどを😉
擂身汁味噌の香りに誘われておかわりを乞う朝の食膳
これは正に子供の頃、夏休みなどに長期滞在していた子供の頃の私でしたね。
すり身汁、大好きでした。佐渡に来たらすり身汁とイカ刺し!と公言していたくらいです。
この方も、お孫さんたちがおかわりをするのを目を細めて見ていたのかもしれません。
トビウオのすり身は佐渡の名物だったのですが、実は残念な事に今年の夏で製造中止となってしまいました。理由はトビウオが捕れなくなってしまったから。作っていた会社も廃業に。世は無常とは言いますが、全島民が衝撃を受けました。おそらく佐渡金山の世界遺産登録決定と並んで2024の二大ニュースです。
朝まだき露にしめれるさ庭辺の池の睡蓮まだ開かず
この方の見ていらして睡蓮がどんな種類だったかは存じませんが、睡蓮って本当に朝見るとホッとします。開花前のまだ咲かないかな〜と思う気持ち、私も同じです。
※「さ」がよく歌の中に入っていますが、方言なのではないかと思います
小夜ふけて数多虫の音ききながら夢路を辿る我は倖せ
枕辺の鈴虫の声ききながら心安けく眠らむとする
夜も更けて一人文よむ窓の辺に鈴虫啼きて秋も間近し
真夜中にふと目覚むれば静もりて深める秋を松虫の啼く
丁度、今時分の歌ですね。
蝉の声がようやく聞こえなくなり、夕方から朝にかけてたくさんの種類の虫が大合唱です。
そう言えば、虫の音を風流に感じるのは日本人ならではのようですね。雑音にしか感じない民族が大多数のようです。
相川の歴史に残る金山の流人を思ふ苦難の道を
先月久しぶりに佐渡島金山を見学してきましたが、改めて従事していた方々のご苦労が偲ばれる展示説明がありました。
本当にキツく、短命の方がほとんどだったのでしょうね。平均寿命が三ヵ月だったという説もあるようです。
四羽鴉一夜を眠る出湯(いでゆ)にて興醒めやらず思ひのままに
四羽鴉、とは気の合った老人四人のこと、と注釈に書いてありました。
女学校時代の同級生同士で温泉宿に泊まったでしょうか。
昔話に花が咲いたのかもしれませんね。
自分が七十代になった時、そんな風に楽しく過ごせる友人がいるといいな、と思いました。
八十を過ぎている母は佐渡の高校の出身ですが、隔年で佐渡島と別の場所で一泊同窓会をしているようです。なかなかすごい事ですよね。
明日ありと思ふ心の愚かさよ思ひついたら行ふがよし
本当にそうですね。
2年前に家を探し始め、今年4月から佐渡メインの二拠点生活を始めた私達。
そのうちに…なんて言っていたらきっとあっという間に六十になり、気力体力も衰えて行動出来なかったと思います。
もう少し前に計画・実行すればよかったと思った事もありましたが、2年前のタイミングではなかったら、この家とは出会えなかったので、これもご縁だと思っています。
まだまだ手探り状態で、少し前に注文した床材が届いたところです。
リノベはこれからですが、さどぐらっしーを楽しみながらやっていこうと思っています。