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眠れぬ夜に

躁か鬱か。
ここ2週間ぐらい、上手く眠れず、
上手く食べられない。
いや、睡眠時間はしっかり取れている。
夜中に何度も目が覚めてしまい、
悪夢ばかり見ているせいで、
ぐっすり寝たと思えない。
食事量は一気に増えた。
8月末でバイトを辞めて、
急にご飯が美味しいと感じるようになった。
食べられるしあわせ、
その反面、食べすぎる苦しさ。
程よい量を食べられたら良かったんだけど、
苦しくなるまで食べてしまう。
明らかに小麦の摂りすぎで便秘になってて、
食べたくないのに手が止まらない。
拒食のあとは過食が来る、
からだはそういう風にできている。


前回のnoteから、1か月。
鬱期がなかった。
アルバイトを辞めるまでのことはあまり覚えていない。
台風が来るの来ないのとなっていたときかな。
とても円満に退職して、
9月、無職になった。


早速髪を染めた。
ほんとは内定式のあとに染める気だった。
そう、思い立ったが吉日。
ノリと勢いで金髪にした。
ブリーチ2回、計4時間かかった。
頭皮と髪がめちゃくちゃに強かったらしく、
美容師さんに褒めてもらった。
ブリーチ2回で染みないのは珍しいらしい、
全くの無痛、あたたかいぐらいだった。
オレンジっぽくない金とオーダーしたら、
ピンクと紫を入れられて、
完成版はうっすら紫だった。
金と銀と紫を混ぜたような色。
びっくりして固まっていたら、
紫が数日で落ちるとブロンドになるよと解説してくれた。
ほんとに毎日色が変わっていって、
1週間で理想の金髪になった。
怪訝な顔して、疑ったまま帰ってごめんよ、美容師さん。
同時期に青のカラーコンタクトも購入したので、友だちとの鍋パにいきなり金髪碧眼で登場した。
ほぼ二次元だった、
自分でも鏡を見ながら不思議だった。


金髪にしてから、
色んな人に会って、色んな人に褒めてもらえた。
家族、クラスメイト、高校時代の友人、
祖父母、大学の先生、心理士さん、
歯医者の衛生士さんまで。

一番反応が薄かったのは父、
「髪染めたんか」だった。
心理士さんはめっちゃ驚いて、
髪色も、挑戦したことも大絶賛で、
しばらく会う予定のなかったゼミの先生をわざわざ私に会いに行かせるぐらいだった。

自分でも、金髪がしっくりきている。
ブリーチ2回で痛めつけた分、毎日しっかり乾かしているし、化粧をする気にもなる。
眉コンシーラーなるもので白っぽくして、
金よりの茶色の眉マスカラをつける。
アイメイクは迷走中。
これまでピンクメイクしかしてこなかった弊害である。


髪を染めた次の日、
映画『ラストマイル』を観た。
まだ観てない人もいるだろうから、ネタバレはしない。
安心して読んでほしい。

結論、めちゃめちゃ良かった。
アンナチュラルガチ勢の私はUDIのつなぎを着て、中堂系の名刺をスマホに挟み、ピンクのカバのキーホルダーをつけていった。
中堂系を劇場で観られた感動、
1話しか観てないけどMIU404のサントラがかかった瞬間の感動、
そして、内容が濃い。めちゃめちゃ濃い。
キャストが意味わからんぐらい豪華な本作、負けず劣らず脚本も演出も豪華だった。

私はこの映画を観るにあたって、
主題歌『がらくた』を聴き込んでいた。
『がらくた』に出てくる“ふたり”は、
誰なんだろう、と映画を観ていた。
エンドロールでこの曲が流れた瞬間、
“ふたり”は、あの“ふたり”だった と
自分の中で答えが出た。
それが正解かはわからないし、
どうだっていいのだけど、
私にとって“ふたり”は『がらくた』そのもので、そのふたりのことを考えて、ボロボロに泣いた。

なんなら、帰ってきてからも泣いた。
『がらくた』が誰の曲か分かって、
自分の曲として聴けるようになったから。
米津さんは
「壊れていない人など、いるのだろうか?」
と、この曲を作ったらしい。

私は、高校2年生でうつ病になった。
その少し前、
「お前は失敗作だ」
と父に言われた。
その言葉を忘れることができず、
また病気を治すこともできず、
大学4年生になった。
これまでずっと欠陥品として生きてきた。
それじゃダメだと思っていたけれど、
米津さんは受け入れてくれた。
「壊れていてもかまいません」から着想を得た『がらくた』は、壊れている私が生きていることを認めてくれる曲だった。
YouTubeのコメント欄には、
同じようにこの曲が好きで、救われた人たちがいる。

長年好きだったアンナチュラルの続きを観ることができて、
大好きな米津さんの大好きな曲に出会えて、
この世界も悪くないなと思った。
この日までを生きてきた自分へのご褒美だったんだと思った。


これを書いたのが4日前、
全く身に覚えがない。
体調が悪いらしく、寝ているしかないので続きを書いていく。

時は2週間前、9月の2週目のこと。
大学の集中講義があった。
1日5コマを3日で15コマ。
こんなに詰め込まれるのは4年間で初めてだった。
毎朝起きられるのか、
最後まで休まずに乗り切れるのか。
とにかく不安だった。
不安に思っていたあれこれは、
なにも起こらなかった。
全く知らない人たちとグループワークをして、模造紙に付箋を貼り付けて、同じ教室内の人たちに発表する、そして1日2枚のレポートを書く、というもの。
昨年の夏にインターンに行きまくった私は、
グループワークがめちゃめちゃ得意になっていた。
そして毎日ノート1枚の日記を書いているのだから、レポートぐらい余裕である。
最短でレポートを仕上げ、真っ先に帰った。
もちろん体力は奪われた。
帰ったら即寝たかったし、
朝起きるのは苦痛でしかなかった。
でも、
最後まで行けた。
その事実がとにかく嬉しかった。
私も頑張れるんだという自信になった。


集中講義の翌週、
教習所の入所日だった。
15人ぐらいの教習生が集められ、
ありがたいお話が1時間、
適性検査が1時間、
学科1時間目。
計3時間、くったくたになった。
ちょうどその日がお月見で、
教習所の先生と月を眺めた。
話したこともない、名前も知らない人。
「日本地図みたいですね~」と言ったら、
「お疲れですか?」と言われた。
適当に言い過ぎた、間違えた間違えた。

 
次の日、早速教習のある日だった。
まずカウンセリングに遅刻した。
なぜ遅れたのかわからない。
気づいたら遅れていたので、
メールをした。
2分遅れぐらいで到着した。
集中講義の話や、本の話をした。

教習所のバスの時間まで図書館で待ち、
バスに乗り遅れた。
10分前に出ようとしたら、
5分前になっていた。
歩いている隣をバスが通過していき、
走って追いかけても間に合わなかった。
初回で当日キャンセルが決定。
バス以外に行く方法はない。
最悪だ、迷惑をかけた。
そう思いながら家に帰り、
教習所に謝罪の電話をした。
「1コマ後にずらせますが、どうですか?」
と言われた。
お願いしますと答えて電話を切り、
急いで大学まで戻った。
歩いている途中でバスの時刻表が読めなくなり、また電話して確認した。
ほんとうにおかしくなってたんだと思う。

なんとか教習所に辿りついた。
昨日の適性検査の結果が出ていた。
「情緒不安定」の項目だけ引っかかっていた。
今まさにその情緒不安定ぶりを発揮していたところだ、と思った。
コメント欄には
「内向的で真面目
こだわりが強い」
と書かれていた。
よく分かってらっしゃる。
あの適性検査でよくそのまで分かったなとも思った。

1回目は模擬教習だった。
マリオカートみたいな機械で運転操作を学ぶ。
「ブレーキの踏み込みが甘い」
とめちゃめちゃに叱られた。
そのわりには一度も見に来ないので、
どう改善して良いのやら分からず、
心が折れそうになった。


その次の次の日、教習2回目。
今度は本物の車に乗る。
トランクの開け方から教わって、
車の乗り方、シートベルトの締め方、
座席の調整の仕方、
運転席からの見え方と本来のモノの位置。
「ブレーキの踏み込みが甘い」という問題は、
「ブレーキ踏むときはかかとつけなくていいよ」の一言で解決した。

最大速度30キロだったけれど、
なんとか車の運転をすることに成功した。
車線の真ん中を走ることが、
こんなに難しいとは思わなかった。
ハンドルを切るタイミングも、
どれくらい回していいのかもよくわからない。
わからないけど、やるしかない。
怖かったし楽しくもあった。
今は、免許を取れる気がしない。
まっすぐ走るだけで精一杯だから。
できると信じてやってみる。


こうして数日が過ぎた。
忙しない夏の終わり、
私は眠れなくなった。 
そう、ここで前半を書いた4日前。
この日から本格的に眠れなくなり、
3時間睡眠で動き続けた。
眠れないのに動ける、というのは、
私にとって恐怖だった。
躁の典型例だったから。
元気すぎるということだった。

元気すぎる恐怖を抱え、
3時間睡眠で、
週末は友だちと『ラストマイル』を観に行った。私は2マイル目。
2マイル目なのにボロボロに泣いた。
友だちはそれを見てゲラゲラ笑っていた。

その話はまた次の記事に書こうと思う。
この日、私は安心して眠ることができた。

読んでくださってありがとうございました🌱
―後半へ続く―







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