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toradesu222
ネガティブを受け容れて 自由に
恐怖。
わたしは、これを否定してきた。
そりゃあ、恐怖なんて、すぐさまバツ印をつけて、目に見えないところに追いやりたい。
でも、わたしは恐怖がすぐ側にいるような状況を、10年ほど続けてきた。
パニック障害、とか呼ばれちゃうやつだ。
*
発作は怖い。
自分のからだの感覚がなくなり、死をイメージしてしまう。
それが、日常のあらゆる場面で生じる。
決して「愉快ではなかった」かな。
わたしは、恐怖を否定した。
感情が不安・恐怖に動き始めると、必死にそれを押し込めて、見えないようにしようとする。
でも、うまくいかないことも多い。
でも、それは「克服する」ものだと、わたしはわたし自身の感情と闘い続けた。
いつか、勝利することを信じて。
――そんなわけ、ないよね。
疲れ果てたわたしは、完全にお手上げした。
お手上げしても、恐怖は付きまとう。
闘う気力がなくなったわたしは、自分の意志で制御できない、からだの反応や巻き起こる感情に成す術なく、不調の時期を過ごした。
それでも、いざという時は、「闘おう」とした。
「からだの不調は、必要だから起きている」と察し始めてからも、「闘おう」としていた。
こわいもんね。
でも、ある時、思い切って勇気を出して、恐怖に身を委ねたのだ。
そうしたら、恐怖は「バイバイ」と消えていった。
次もこうできるかは、分かんないけどね。
ポジティブとネガティブ。
白と黒。
そのように呼ばれる二極の、"ポジティブ" "白"を選んできた。
それ以外は認めないようにしていた。
二極に分けていたのはわたしだ。
"白"を目指すほどに、"黒"は濃く広くなる。
ピカピカの"白"を目指すわたしは、結果的に、世の中のほとんどのもの、自分の感情をも”黒”として、許容しなかった。
そして、わたしの取り分は限りなく少なくなり、わたしはエネルギーを失ったのだ。