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今日は朝からアリストテレス三昧

今朝、Canvaで動画を作成して保存しているときに出てきた言葉

芸術が目指すのは、
ものの外見ではなく、内にある本質である

アリストテレス

つい先日、うっとりする朝焼けと虹を見たときに芸術や美術について思いを巡らせていたことを思い出す

そして、アリストテレスって確か哲学者だったよな…?

こんな私の曖昧な記憶を助けるのはこちらの記事↓

定期的に哲学のことに思いを馳せる時とても助けになるので、その都度、読み返す

毎回この記事を読むたびに、
私はアリストテレスの考え方がしっくりくる

見えるものの事実を観察し研究し、自己探究に繋がっていくのは、私にとって、とても腑に落ちる

そして芸術というのは作品だけでなく、
1人1人の人生に対しても"芸術"という表現がしっくりくるなと思った

そんなことを思っていた朝からの昼間

Facebookを見ていたら偶然出てきた投稿に書いてあったのは、

アリストなんちゃらは
こうも考えたらしいな。
『人は自分の特性を活かしてる時が一番幸福だ』
と。

チ。ー地球の運動についてー

漫画「チ。ー地球の運動についてー」の中にある一節が紹介されていた。
アリストなんちゃらは、アリストテレスを指しているのではいか?と推測する

そしてこの言葉は、
サロン・ド・フォンセが目指しているところでもあるし、幸福についての真理であり本質でもありそう。

今日は、なんてアリストテレス三昧なんだろうと思い、記事を書いているときに"三昧"の意味が気になって調べていたら、新たなことを知る

三昧(さんまい)
1.名詞
⚫︎仏語。
雑念を離れて心を一つの対象に集中し、散乱しない状態をいう。この状態に入るとき、正しい智慧が起こり、対象が正しくとらえられるとする。
⚫︎三昧場の略

2.接尾
⚫︎ともすればその傾向になるという意を表す。
⚫︎そのことに熱中するという意を表す。
⚫︎心のままにするという意を表す。

コトバンク

この、仏教用語と接尾の「心のままにする」という意味で使ったことがなかった。
というか、今日まで知らなかった。

今までは、"その傾向になる"とか"熱中する"という意味合いでしか使っていなかったから、こんな意味があると知ってビックリ。

そして、この仏教用語として使われる"三昧"が今の私に起こっているとしたら、
どんな対象に集中していて、
そこに正しい智慧が起こり、
対象が正しくとらえられていくのだろうかと、
今の自分を客観的に振り返ってみようと思った

アリストテレスの
「本質は目の前にあるやん、観察と研究大好き」を基に、
ソクラテスの
「無知の知」
を自覚して、プラトンの
「目には見えないけど確かにそうだと感じる直観やひらめきを頼りに行動する」
を意識しながら過ごしてみようと思った夜でした