【閲覧注意】昨年父が亡くなるまでのことを振り返って。
3連休最終日は、会社の防災当番で会社近くに待機が必要なため出社。会社近くで過ごした。
幸い今のところ待機状態で落ち着いていることに感謝。
何もなければ、自由に時間を使えるので、手が回っていなかった仕事をしてから、ゆっくり読書や昼寝もできて穏やかな時間を過ごせた。
一人でゆっくりとした時間を過ごしていたら、昨年亡くなった父のことを思い出した。
昨年、私も50歳になり子育ても終盤に来たのだけれど、昨年の夏に父が入院して11月に亡くなるまでのできごとは、私の人生観に大きな変化をもたらした。
父が帯状疱疹で入院したのは昨年の8月下旬。
目の上の痛みを訴えてから、当時帯状疱疹について何も知らなかった私たちは近所の病院を梯子。
原因がわからないうちに、目の上が腫れ上がり目が開かないほどとなってしまい、自宅で立てなくなって救急車で病院へ。
そのまま入院することになったが、救急で搬送された後の診察時に、耳の遠い父は若い救急医とのコミュニケーションが上手く取れなかったからか、怒り出したり、私のこともわからなくなり、せん妄状態になってしまった。
救急病院で入院中は看護師に抵抗したようで、手足を拘束され、認知症診断をするためにいると思われる会ったこともない精神科の医師にアルツハイマー型認知症の診断がつけられ薬を入れられた。
面会した時には会話もまともにできない状態になり、入院前は要支援1だったのが要介護4に。
認知症の母や別居する兄弟では家での介護ができなかったので、私の住む市にある認知症患者向けの療養病院に転院することに。
わずか1ヶ月の入院でまともに話もできない状態になった父の姿に本当に申し訳ない気持ちになり、苦しかったことを思い出す。
転院後2週間程度で脳梗塞となり意識不明に。父は以前に心筋梗塞をしており、血液をサラサラにする薬を服用していたが、まともに食事も取れなくなっていたので、服薬もまともにされていなかったのではないかと思う。
脳梗塞になっても、療養病院のため治療は行われなかったのは仕方ないが、家族が望まない中心静脈栄養を入れられた。1ヶ月半にわたって意識不明のまま苦しそうな呼吸を続ける父の姿が忘れられない。
父が亡くなったときには、正直、父も母の介護や病気の苦しみから解放され楽になれた、ようやく救われた、というような気持ちになった。
父の亡骸に「こんな最期になり本当にごめんなさい。本当におつかれさまでした」と手を合わせた。
私が介護や高齢者医療に無知だったために父には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、いまだに辛い思いを抱えている。
父の入院以降、母の認知状態も一気に悪化し、要介護認定を受けるまでになり、(同居して自宅介護をしている方には遠く及ばないものの)それまで親の老いや介護の現実から逃げていた私に“介護”が重くのしかかってきている。
それでも、父のことで得た経験や介護・終末医療に関して学んだこと、そしてnoteで本や動画では得られない生々しい経験や想い、知識も教えてもらうことで、今後に光といえばいいのか、何とかなる、という漠然とした希望が感じられるようにはなってきている。
母の介護と自分の人生を考えながら、今できること、今やるべきことを優先して、“今”を愚直に生きていこうと思う。
〜会社近くのホテルにて。今日は思わぬ方向に筆が進みました。気分を悪くされてしまった方がいらっしゃったら申し訳ありません。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
〜タイトル画像は今朝の空。明日から仕事、気分を換えていきます。