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義経は卑怯者?(雑兵の目で見る源平合戦その2・前半)

さて、前回積み残した、
旧説2:義経が「卑怯にも」「非戦闘員である」船の漕ぎ手たちを射殺させたため、

平家は負けた。
という俗説についてなのだけど、
書いているうちに、途中でばからしくなってきた。

どっから出てきた話でしょうね。
とっくの昔に一笑に伏されたものとばかり思っていたのに、
驚いたことに、そうでもないらしい。
少なくとも『鎌倉殿の13人』は、そのトンデモ説まる呑みで書かれていたし、
前回から紹介しているNHKの特番「決戦!源平の戦い」
(または「歴史探偵『源平合戦 壇の浦の戦い』」)
の中でも、全肯定されていた。
最初から最後まで「卑怯者」コール。
藤木くん並みだ。

(ちびまる子ちゃんの同級生)

わが相方の俳優Mは、広島は廿日市(厳島神社の対岸)の出身で熱烈な平家ファンなものだから、板東者の私としょっちゅう代理戦争になる。
屋島は「負け戦」か「勝ち戦」か、とかね。笑
その彼に、
「義経『卑怯者』説」について訊こうとしても、最初から笑って相手にしてくれない。
「くだらない」と言う。

「平家はべつにチートで(ズルされて)負けたわけじゃないから」
そのとおりだとも!!
ハイタッチ。

「歴史探偵」と特番「決戦!源平の戦い」はNHK大阪局制作だから、平家ラブのあまり偏った報道をしてもまあしかたない。気もちはわかる。
だが大河ドラマの「義経卑怯者コール」は何なのだろう。
まさかとは思うが、単なる「判官びいき」の逆張りという、中二病的オウンゴールなのだろうか。

私もべつに義経が天使のごときピュアハートだったとは思わないのだけど、
卑怯者なら卑怯者で、なぜ卑怯なのかちゃんと理屈が通っていてほしい。
エモーションだけで持っていかれるのが嫌なのだ。
気もち悪い。

ということで、いったん削除しかけた「義経=藤木くん説」を検証するの巻、いちおう上げておくことにします。

その1 船の漕ぎ手は「非戦闘員」なのか

見出しを立てた段階でなんか結論が出ちゃってる気がする。
そもそも「戦闘員/非戦闘員」という分け方じたいが現代のものなんだけど、
それを無理やり800年前に当てはめても、軍船の漕ぎ手は、
(『平家物語』原文では「水夫楫取[かこかんどり]」)
「立派な『戦闘員』だろう」
と、わが相方Mもきっぱり言う。
「爆撃機のパイロット、潜水艦の舵手と同じ」

「非戦闘員」を辞書で引くと、従軍者のうち「衛生」や「宗教」の担当要員とある。
水夫楫取たちは衛生要員でも宗教要員でもない。
はっきりバトルに加わっている。
戦闘員だ。

彼らをノーカウントにするなんて、失礼だ。戦争は武士だけでやるわけではない。

その2 船の漕ぎ手を射るのは「禁じ手」だったのか

これも見出しを書いた段階で笑ってしまって、反論する必要あるのかなと思うのだけど、いちおう書く。
「そんなルール当時の文献のどこにもない」
という専門的な議論はプロの研究者の先生方におまかせするとして。

「禁じ手なわけないだろう。ちょっと考えればわかる話」とわが相方Mも言う。「戦場で、修羅場で、漕ぎ手さんに当たらないように避けて矢を射てあげる、なんてできる?
当たるよ普通」

私も思う。これが陸上の騎馬戦なら、
「馬に罪はないからお馬さんは射ちゃダメなの」
そんなルール、かりにあったって守れるわけがない。
それどころかむしろ
「将を射んと欲すればまず馬を射よ」
いくさの基本のキじゃないんだろうか?

わが相方が言う。
「平安時代の戦争を美化しすぎ」
彼は居合道六段で師範の免許を持つ男だが、いわく、
「『武士道』だの『剣の道』だの言い出したのは、江戸時代になって実戦がなくなって、武士がひまになってからのこと」
だそうだ。
「それ以前の戦なんて普通に殺し合い」
だそうだ。

だよね。

その3 船の漕ぎ手を射るのはイレギュラーな戦法だったのか

それでも私は、義経が敵方の水夫楫取をねらうよう命じたとき、みんな一瞬びっくりした可能性はあると思う。
みんなというのは、命じられた雑兵たちのことだ。
私だったら、きっとびっくりする。

前回の続きになるけど、いまこの文章をお読みの貴方。
もう一度、雑兵の気もちになってみていただけますか。
手持ちの矢、マックスで24本です。
どう使いますか。
大将をねらいませんか?

一発当たれば、こんな俺でも一躍ヒーローだからね!
私だったらまちがいなく大物ねらっていきますね。ええ。そして24本のうち20本失敗とかね。かすりもしないとかね。ほっといてください。
そこへね、うちのボスが言うんですよ。
「水夫楫取をねらえ」
「全員、敵の水夫楫取だけをねらえ!」
は? って話ですよ。これ野球なら9回裏に
「全員バントしろ!」
的な?

まじか? と思いますよ?

私が驚くのは、この作戦そのものにではない。
全員バントなんてべつに大した奇策じゃない。むしろ地味。
その地味な作戦に、みんなが従ったのが凄い。
雑兵たちも理解したのだ。いまは個人プレイどころじゃないと。チームが一丸にならなきゃいけないのだと。
抜け駆けが大好物の板東武者も、寄せ集めの瀬戸内や紀州の水兵も、
みんなが理解し、団結したのだ。

義経に奇跡があるとしたら、そこだと思う。
どこから出てきたか知らないけど御曹司だとか言ってるちっちゃな若者に(義経が小柄だったのは史実らしい)、
何万という人間が従ったということ。
普通、ない。あり得ない。
どんな魔法を使ったんだ。教えてほしい。

また演劇の話を持ち出して申し訳ないが、
ぶっちゃけ奇抜な演出を考えつくことなんかより、そのプランをキャストとスタッフのみんなに理解し実現してもらうのが、はるかに大変なのだ。
「人を動かす」「人に動いてもらう」って並大抵のことではない。
相手も人間だからね。生身の。
雑兵だって、知盛や義経の手足ではない。

ましてやディスプレイ上で好きなだけ使いまくれるピコピコ光線じゃないのだ。

長くなってきたので、後半は次のページに書きます。


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実村 文 (theatre unit sala)
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