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#エッセイ
絶対に目を合わせないで!何が起こった? カナダひとり旅バンフ①
カナダひとり旅、最後の街はバンフ
カルガリーから長距離バスで移動。
バンフに着き、すぐに宿へと向かった。
ここで、まさかの、、、
宿の予約は入ってないよ〜
えっ、そんなはずはない!
バンクーバーから予約したはず。
予約が完了した書類を見せるも、
う〜ん、名前ないよ。
今回だけは、絶対に野宿は避けなければ!
さもなければ、野生動物のエサになっちゃう。
もう、お盆おばさんになるしかない。
でんじろう先生の空気砲、国が変わるとオシャレに変身!
カナダ愛に溢れすぎて、
遊学後もカナダへの積もる想い
10年以上ぶりのカナダへ
バンクーバーにいた時、
まったく興味のない行ったこともない、
私にとっても初めての場所
サイエンスワールド、という科学館
行ってみたら、とっても面白かった!
子供の感想みたいだわ(笑)
日本の科学館もこんな遊び心があったら
もっと科学が好きになる子が増えるはず。
水洗式トイレのしくみ
遊びながら、学べそう♬
オリンピックのあとは カナダひとり旅〜カルガリー
トップの写真は
バンクーバー・オリンピックの聖火台
今さら、オリンピックですが。
カナダでは、
モントリオール、カルガリー、バンクーバー
と、冬季オリンピックが開催されている。
うっすら記憶に残っていた
カルガリー・オリンピック
オリンピックを開催したのだから、
都市は発展しているのだろう。
と、イメージして行ってみたら、、、
あれれ?
なんだか閑散としている?
※今のカルガリーはわから
日本人なのに少なすぎる!
日本の習慣にはない「チップ」
最初は、チップに慣れなくて
なかなか難しかった。
このチップで、少し怖い思いをした?
ムッっときた?話を書いてみよう。
カナダにいた時、日本人の友人と
ニューヨークへ行った時のこと。
NYよくわからないし、地下鉄怖いから、
ホテルまで、3人でタクシーを利用した。
目的地に到着し、チップを含めて支払ったのに、ドアを開けてくれない!!!
なんでドアを開けてくれ
完璧じゃなくていいのよ。カナダひとり旅〜空港編〜
カナダ東部の旅を終えて
生活拠点であったバンクーバーへ戻る
その時に「旅の恥は、かき捨て」って
ある意味、大切なのかも?
なーんて思ったできごとが。
というより、
英語が話せなくても、
思いは通じるものなんだなぁ〜
空港で、バンクーバー行きの
飛行機を待っていた時のこと。
2組の日本人のご夫婦がいた。
お子さんも育ち、さぁ、これから夫婦で
楽しもうという年代の方達だった。
ご婦人2人が、
知れば知るほど愛が深まる、あなた
私の残しておきたいカナダの思い出に
たくさんのスキや温かいコメントを
ありがとうございます。
聞かれたことないけれど(笑)
なぜ、カナダを選んだのか?を書いてみます。
当初は、アメリカに行きたかったのです。
「自由の国、アメリカ」
そんな勝手な私のイメージから。
それくらい、自由になりたかった(笑)
だけど、1年暮らすとなると資金不足で
手元の資金内であれば
カナダなら行けますよ、と言われ
カナダにいるのにヨーロッパを味わう感覚 カナダひとり旅
いよいよVIA鉄道の最終駅
ヨーロッパのような雰囲気漂う
ケベックシティ
ここは、英語がほとんど通じなかった。
今はどうなのかな〜?
前回にも書いたように、
カナダの公用語は、英語とフランス語
映画タイタニックの曲で有名な歌姫
セリーヌ・ディオンは、ケベック州出身とか
※随分前の映画なので
知らない人も多いかも(^^;;
語学学校時代に、先生から聞いた話によると
セリーヌ・ディオンは、
サウザンドレッシングは好きですか? カナダひとり旅〜キングストン
宿が、どこも満室で
もはや野宿も覚悟なのー!?
宿探しに、あたふたしたキングストン
キングストンはどんな街?
そもそもキングストンって、どこ?
トロントとオタワの間に位置するキングストン
1840年からの4年ほど
カナダの首都になった、とか。
オンタリオ湖からモントリオール、
ケベックシティーを経て、
大西洋に流れるセントローレンス川がある。
トロントからケベックへと
ずっと旅をしていくと
いきなり宿なし!?カナダひとり旅
生活拠点だったバンクーバーから
トロントまでの移動は飛行機で。
広大なカナダの飛行機移動は、
まるでバスのような感覚
トロントからの宿は、基本ユースホステル
いきなりの宿探しは、リスクがあるので
トロントまでは事前に予約していた。
トロントといえば、あれよ、あれ!
早速、ツアーに申し込む
ナイアガラの滝&ワイナリーツアー
滝の近くまで、ボートで行くツアーは
ビショ濡れになるけれど
みんな大
カナダ横断ひとり旅 ミレニアムを迎えるカナダを旅してた
人生、そう何度も大きな変化が
あるわけではない、けれど
この経験は、私の人生を大きく変えた
家出同然で旅立ったカナダ
大げさな〜と思われるかもしれないけれど
私にとっては、勇気のいる大きな1歩
厳格で過干渉な両親のもと
このままではイヤ!と、出発寸前まで
家族に言わず、反対されても心が折れないよう、逃げ出すようにカナダへ飛び立った。
カナダへは、私のことを誰も知らない、
文化も言葉も習慣も
恋こがれる、あなたへ
長年、こんなにも恋焦がれているのに
届かぬ想い。あぁ〜、いつになったら
あなたに想いが届くのでしょう。
晩年は、あなたのもとで余生を過ごしたい
きっと、バンクーバー親善大使になれるほど
(親善大使があるか、わからないけど)
それほど、大好きな街 バンクーバー
ここにいると、怒る要素が見つからない。
ただいるだけで幸せ♡
ミレニアムを迎える、1999年〜2000年の
1年ほど、バンクーバーで過
カナダ旅③ 語学学校へ 「何かを変えたい!」と、人生をリセットする場所
語学学校は「English Only」
バンクーバーでは、語学学校へ通った。
数ある中で選んだ学校は、
学校内はもちろんのこと、
学校から出た後の1ブロック以内の外でも
「母国語、一切禁止! 」禁止でーす。
ただ、そういう規則がある。というだけではなく、レッドカードをもらってしまうと、
本当に退学になってしまう。
この厳しい規則は、他の語学学校はあまりなかった。様々な国から来ているから、