国宝茶室 待庵(京都妙喜庵)
「待庵(たいあん)」
京都府大山崎町の妙喜庵にある茶室。
待庵は現存する最古の小間席であり、多数の茶室遺構の中でも類を見ない古い手法や部材を留めています。
江戸時代以来、侘び数寄の大成者・千利休の唯一の遺構と伝えられ、天正10(1582)年に豊臣秀吉が明智光秀と戦った山崎合戦の際、秀吉が利休に命じて造らせた茶室であるともされています。
書院との接続状況から現地で建造されたものではなく、別の場所で造られた後に移築されたというのが通説であり、元はどこにあったのかについては「秀吉の山崎城内」や「山崎の利休屋敷」など諸説あります。
利休作とする資料は見つかっていませんが、作風などからみて利休好みと認めうるものとして、貴重な茶室となっております。
間取りは二畳隅炉席で、客座一畳・点前座一畳の極小茶室に、太鼓襖で隔てた次の間一畳、勝手一畳という構成です。
南側の壁は、客座に躙口(※現在の通例よりも幅・高さともに大きめのため、初期の試みと推定される)が設けられ、その上に連子窓と次の間に下地窓(※一般的には利休が風炉先に用いたのが最初とされています)があきます。下地窓には力竹(※下地窓の外側に壁に接して立てる竹の柱)が添えられています。東側の壁にも下地窓が二つあきます。
躙口正面に位置する床の間は、天井まで土を塗り回して入隅の柱を隠す室床という手法で、天井高は低く抑えられ間口も狭く、利休の思想が色濃く表現された空間となっています。
床柱は細い杉丸太で落掛付近まで面を付けています。床框は見付に大きな節が3つある桐の丸太で、利休の登場前には本式ともいえる真塗りの框とは対極的な自然木をあえて選び、利休が推し進めた「侘び」への心意気が材から感じられる取り合わせとなっています。
そして、それら材に合わせるように長い藁(わら)スサを表面に散らした荒壁が用いられ、力強く緊張感のある草庵様式の完成を物語っています。
利休の大きな功績である「四畳半の草庵化(※後の裏千家又隠や北野大茶会の四畳半(利休四畳半)など)」において、四畳半には台子や名物の茶とのつながりが深く約束事も多いため、まずは最小空間である二畳から試みたといいます。変革はまず二畳敷から四畳半へというのが利休の歴史を紐解くと見えてくる大きな流れですが、この待庵からもその過渡期、前時代からのイノベーションや試行錯誤の跡が見て取れます。
次の間一畳の意図や使用法にも様々な考察があります。本席との境の襖を取り外して使うことも可能であり、それに合わせた形で勝手付には板畳が入れられ、境の壁には低い位置に一重棚が設けられています。このような構えは利休の深三畳台目より以前の成立としたならば、不審庵や道安囲、中柱を伴う台目構え全般の源流になるとの見方もあるようです。
様々な視点から考察しがいのある茶室で、作者である利休唯一の遺構・成立経緯などから大変貴重な茶室であることは間違いないようです。江戸時代の初期にはすでに広く利休好みとして知れ渡っていたそうです。
この茶室は国宝指定されており、国内三つの国宝茶室(他の二つは、大徳寺龍光院の密庵・犬山有楽苑の如庵)の一つとなります。
京都府と大阪府の境、JR京都線山崎駅すぐ近くの妙喜庵に今も現存しております。事前申込の上、拝観料を支払うことで見学もできるそうです。
(「建築の日本展」(2018年・森美術館)において原寸大で再現された待庵です↓)
(国宝・重文の茶室をまとめています↓)
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