人生の終わりを考える効用
私の両親は、2人とも他界しています。現在私は40代です。
母は私が2歳の時、父は私が31歳の時に亡くなりました。父の最期を、私は看取ることができました。父の死後、父の冷たく細くなった腕を清めながら、私は父の「死」を文字通り、肌で感じました。
2週間の短期介護休暇を職場でいただいたので、生徒たちにお休みをいただいたことへのお礼も兼ねて、父の死から私が学んだことをお話をしました。「生と死は対極にあると思っていたけど、延長線上にあって身近にあることを知った。私は父の死から、より良く生きることについて考えた。人生の最期に『我が人生に悔いなし』と思えるよう、今ある命を最大限に輝かせようと決心した。」と話したことを覚えています。
父の死を契機に、私はより豊かに、自分らしく生きるにはどうしたらいいか、考え続けました。父が自分の命をもって、私に学ばせてくれたようにも感じます。私が30代のときのことです。
40代になった時、同世代の夫がこう言いました。「人生100年時代と言っても、平均寿命は80代。それなら40歳は、人生の折り返し地点を過ぎたということ。80歳くらいまで生きるのだとしたら、生まれてから今日までと同じ時間をもう一度やったら終わり。」と夫は言うのです(悲観的ではなく淡々と)。愕然としました。40歳で人生の後半戦に入り、20代30代の頃より、一日一日を大事に過ごしたいと思えました。
今日は「人生の終わりを考える効用」についてです。私が実体験や書籍から学んだことを、生活にどう取り入れ実践しているかについて、書きます。
ビジネス本の世界的名著、スティーブン・R・コビー著『7つの習慣』に「人生の終わりを考える効用」について書かれています。父の死後、より豊かに「生きる」ことに意識が向いたことの理由が書かれているようで、霧が晴れるような思いがしました。
具体的には書籍、「第2の習慣 終わりを思い描くことはから始める」P. 116以降が該当箇所です。
「(中略)人生におけるすべての行動を測る尺度、基準として、自分の人生の最後を思い描き、それを念頭に置いて今日という一日を始めることである。そうすれば、あなたにとって本当に大切なことに沿って、今日の生き方を、明日の生き方を、来週の生き方を、来月の生き方を計画することができる。」(P. 118)とあります。
また、家族や親族の死にふれることで、日常では出会うことのない「死」を自分ごととして間近に感じ、考えることができることを、私は次の書籍から学びました。
久坂部羊著「人はどう死ぬのか」
もちろん大切な人の死は耐えがたく、避けられたら良いのですが、人間も命ある生物のため、死は避けられないものですね。
人生の終わりを意識し、毎日を大切に過ごすためにも、私はアプリを効果的に使うようにしています。下は「寿命時計」というアプリです。いくつか設定すると、「私の余命」が出てきます。たまに見ることで、人生の残された時間を意識するようにしています。
他には「夢アプリ」を使っています。こちらは、人生の大目標を設定し、それに繋がる(繋がらなくても)個々の目標を設定していくものです。ちなみに私の人生の究極の目標は「周りを笑顔にする愛の人」です。こちらは人生を100歳として設計しました(そう計画通りにはならないと思いますが…)。
下は私が設定した目標です。「ホノルルマラソン出場」「パーソナルカラー診断を受ける」「年間200冊の読書」などがありますね。
このアプリは、いつまでに何をしたいかを設定することができます。私は博士号を50代で取ることを目標にしているので、逆算して40代で何をすべきかも設定しています。人生を逆算し、やるべきことを設定できる点が良いですね。
ちなみに、下は今年2024年の健康・美容に関する私の目標です。
可視化できるアプリなども効果的に使えると、モチベーションの向上に繋がると気づきました。
まとめとして…
今回は「人生の終わりを考える効用」について、実体験や書籍からの学びから、より心豊かに生きる実践について考察してみました。
今日もお読みいただきありがとうございました。コメントもお待ちしています。