自分の人生を生きる
皆様、こんにちは。
なんだかとてもお久しぶりの更新になりました。
本日は、タイトルの通り
「自分の人生を生きる。」というお話。
タイトルは、かっこいいし偉そうだけど、そんな大した話じゃありません。(笑)
ただありのまま、ヤングケアラーのお話しをするだけです。(笑)
今日は結構、リアルにそのまま伝えるので、重い話が苦手な人はサーっと呼んでくださいね。
大学2年生後期から、母が亡くなるまでの私
実は、2か月前の3月7日に母の一周忌を迎えました。
母が亡くなった時に、もちろん悲しく、絶望的な感情でした。
けれど、それと同時に、不謹慎かもしれないけれど、やっと解放されるという安心感というか、脱力感を感じました。
大学4年の夏、母の末期がんの診断・余命宣告を受けた私は、思い描いていた将来・夢・やりたいことを、一旦放り投げちゃったんです。
「自分のことをやっている場合ではないわ。。。」と。
自分の人生は後回し
すでに、大学2年生で父が脳出血で半身麻痺・失語症になった時点で、学費のことも考え退学しようかなんて思ったりもしていました。
もともとは、やりたいこと学びたいことがあって一生懸命、受験勉強して入った大学は、後半は心の余裕がなく、とりあえず単位を取るため、卒業するためだけの大学生活に変わっていきました。
それに、さらに追い打ちをかけるように、母の癌宣告。
就職活動への意欲も湧かず、適当というか投げやりの就職活動。
自分の人生について、落ち着いて考えて、努力することを諦めました。
「生きるだけで精一杯」
母の癌宣告の後、大腸の癌を取れるだけと取る手術をするため、21日間の母の入院生活。
大学4年生の夏休み3週間、ほぼ毎日母のお見舞いに行きました。
その期間、父も症候性てんかんで倒れて救急車を呼んでまた病院についていくなんてこともありました。
ストレスで、体中皮膚があれる、ご飯は食べれない、夜も眠れないというところまで追い込まれました。
つまり、何が言いたいのか。
不幸自慢をしたいわけではないんです。
今、中学生や高校生でも親や家族の介護をして、勉強に集中できない、自分の将来を考えることが出来る気持ち的にも・現実的にも余裕がない、
「親の状況に合わせて自分の道を選択する、諦める」
そんな状況・現実があることがとても危険だということを伝えたいのです。
私は、やっとこの呪縛から解放され、4月から新しい挑戦もしています。
この挑戦、本当はやりたかったことは、また今度書けたらなと思います
まだまだ、この時に感じたもの、悩み、感情、習慣みたいなものは、すぐには消えないけれど、少しずつ自分の人生を歩めるようになってきました。
でも、父のこともあるので今住んでいる地域からは出れません。
本当は、大学生の頃に留学もする予定でした。
57歳でまだ、施設にも本人も入る気もないし、ヘルパーさんやデイサービスを活用し、何とか一人でも暮らせているので、しばらくはこの生活が続くでしょう。
本当は、大学生の頃に留学もする予定だったりいろいろ考えていました。
自分のやりたいことをやっていい
親の介護や家の状況で自分のやりたいことができないという境遇は、割と誰でもいつかは通る道だと思います。
ただ、ヤングケアラーと呼ばれる、若い世代にはこの境遇はとてもきついし、避けてほしい境遇だと、とっても思います。
高齢化、晩婚化、核家族が進む日本で、今後こういうヤングケアラーが増えては、明るい社会への道筋は見えません。
家族の問題があったとしても、自分の道や夢を諦めず、しっかり自分の人生を生きることが出来るヤングケアラーが増えれば良いな~
今日は、そこまでまとまってないけど、ありのままお伝えいたしました。
最後まで、読んでいただきありがとうございました☺