外国暮らしと”本”の話 電子書籍?
外国で暮らすと決めた人間は、生活のあらゆる部分であきらめなくてはいけない。
それは「外国に骨を埋めるぞ」という熱い覚悟というよりも、現実的で、庶民的な生活の中での結果としてのあきらめだ。
お風呂に肩まで浸かるのが毎日の習慣であっても、バスタブ付きの部屋が見つかるとは限らない。立派なバスタブと周辺の治安とを天秤にかけて、バスタブ付きという要望をリストから外すしかないときもあるだろう・・・。命あってのお風呂だから。
食事、医療から美容院や郵便事情まで、現地の水準というか当たり前を受け入れていく過程で、あきらめることのひとつに図書館が挙がる。
日本の図書館には、当然ながら日本語の本が本棚に並んでいる。外国語の勉強のための本や、外国の雑誌・小説などを除いてすべてが日本語。小説やノンフィクション、猫をしつける指南書から税金についてまで、すべてが日本語である。住んでいたり通勤・通学の範囲だったりする市町村の図書館なら、無料で借りられる。立ち寄るだけならどこでも無料である。
図書館とは公共の福祉と教育の最たるものではないだろうか?本は新書で買えば一冊が800円から3000円くらいはする。古本でも50円か100円から上限はきりがない。それが、ジャンルごとに綺麗に並べられ、きちんとカバーのされた本が、読むのはタダ。こんなにも、税金として払ったものが還元されているのをひしひし感じる場所はない。
私は読書に関して父の習性を完全に受け継いでいる。彼はまず新書では買わない。本屋にはめったに行かない。ヒマがあると図書館か古本屋に行く。
古本屋でも、買いたい本を目を皿にしさがすのではなく、安いものの中から読みたい本を探していく。古本屋には100円コーナーがあり、私は父に連れられてよくその棚の間をうろうろしていた。だいたいが文庫本だ。
中古の服の値段は、その服の質と状態に左右される。袖も通していないような服は高く、擦り切れた服は安い。けれど古本屋は、本のページやカバーの状態といった、内容とは関係のないところで値段がつく。はやりの大きな帯付きのうさんくさい自己啓発書が元値と大差ないような値段で売られている反面、ノーム・チョムスキーの解説書は100円だ。
父はルポや小説などを寝っ転がって読み、折じわも破れもまったく気にせずそのへんに置く。外国の翻訳された小説の、もう茶色いしみが紙全体に広がったような、何人の手を経てたどりついたかと思うような本を読む。図書館で借りた本はつねに数ヵ月単位で延滞して借りられないので母や私の図書カードを使い、ときには借りた本なのにページに書き込みをしてしまい司書に怒られている。
本は大切にそろえて本棚にしまうというタイプからすると、粗野なふるまいに映るだろう。
しかし、本が売れ筋かどうかや、物質的な質などを一切気にかけず、「今読みたいものはなんでも読む」という姿勢は、多角的で良いと思う。父は「質よりとにかく量」というようなことも言っていた。紙が破けたら破けたでお尻を拭くのにでも使うというくらいの、本に対する気負わない態度は、私に純粋に遺伝したのだった。
となると、日本を離れるということは本と離れることを意味する。
電子書籍、とあなたは言うだろう・・・。本がなくて困ると言うと、だれもかれもがkindleを買えばいいじゃんと答える。
けれどふたつの理由で私は電子書籍を読めない。
ひとつは、私はそもそも紙の本を新書で買わないのだから、電子書籍の新書も買わないのだ。私はどうしても読みたい本をリストアップしてから買った経験はほとんどない。今よく売れている本も、図書館か古本屋に並ぶのを待つ(ほんの少し待てばだいたい読める)。
読んだ本を自分のものとして所有しておきたいという気持ちはあまりない。むしろすぐに返さなければいけないからこそ集中して読める気がする。
もうひとつは、電子画面上ではまったく内容が頭に入らないからだ。つるつると発光するパネルで本を読みとおしたことがない。
スマートフォンやパソコンをずっと見ていると頭の奥がじんじんと痛み、目がしょぼしょぼしてくる。それに疲れると暗めの明かりをともして紙の本を読むのが心地いい。
大学時代も、長い論文はかならず紙にプリントアウトして読んだ。手のひらに抱えながらでないと、長くて複雑な情報を整理できないのだ。
ウェブサイトの生地やブログくらいなら携帯でなんなく読めるけれど。ときにページを戻ったりしながら、深く本に埋もれるようにして没頭するには、本は紙でできていて綴じられたものでなくてはダメなんだ・・・。読むときの姿勢からして、デジタルの媒体にはできないような姿勢で読むし。
オランダにももちろん図書館があり、私の住む近くにも、充実した美しい図書館がいくつもある。おおかたの本はオランダ語。
絵画の解説や、料理のレシピ本など、グラフィック優先のものを眺めているのは楽しい。オランダ語で小説を読めるようになる日が、現実的に来るとは思えない・・・。
解決策は、まず英語で本を読めるようになること。オランダの図書館には英語の本のコーナーがふんだんにある。古本も売っているだろう。英語で話すこと、聞くことにはかなり慣れてきて、カウンセリングを受けたり社会について議論するような場でコミュニケーションできるようになった。
けれど、英語の文章を読むと十数ページでほっぽらかしてしまう。読みとおした本は村上春樹の、すでに日本語で読んだことのある短い小説だけ。
英語で書かれた本を、母国語のように読めるようになるとは思わないけれど、すんなりとできるようになりたい。
それから、じつはもう1度オランダでやってみたのだが、現地にいる人から古本を買うこと。在蘭日本人のウェブ掲示板だけではなく、となりの国の掲示板も覗いてみると、けっこう本が売られている。「帰国売り」と言って身軽になるためにとても安値で売っているのもあるし、とりあえず物を整理したい人もいる。私は学術書と小説をまとめ売りしているドイツの方から本を数十冊買った。
紙の本はもちろんかさばって重いので、日本からオランダに送るのは最小限にしたけれど、情報を得ることも娯楽として楽しむこともライフラインのひとつだ。
紙の本じゃないとダメという宿命を受け入れ、日本にいる間に安く本を仕入れてためこんで、オランダに送ろうと思う。