残り127日-愛は地理に通じていなくて、境界線を知らない(145日もあれば無知無知な理系大学生でも共通テスト世界史8割いけるんじゃないか)
タイトルはアメリカの作家トルーマン・カポーティ「遠い声、遠い部屋」からの引用です。とっても好きな言葉です。
トライさんの映像授業は第一次世界大戦の終結まで進みました。
第一次世界大戦は各国の思惑が領土、宗教、貿易、要因と多岐にわたっており「こりゃあ、今の世界はもっと難しいな」と感じた次第です。
さて、今回のテーマは授業動画を視聴して感じた20世紀の戦争が激化した要因について考えていきたいと思います。
もちろん、ただの大学生がそんな壮大なこと考えてもろくな結論は得られません。和やかな目で読んでいただけると嬉しいです。
三国同盟、三国協商
第一次世界大戦勃発の流れを軽く説明します。
当時ドイツは、北アフリカで対立を強めていたイタリアとオーストリアの仲をもつようにドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟を結びます。
一方、かつてロシアとこっそり仲良し条約(再保障条約)を結んでいたドイツさん、ビスマルクの引退後この条約を破棄します。
するとロシアはフランスと露仏同盟(1891-94)を結び地理的にドイツを挟み撃ちにします。
また、僕にとって憧れのボッチであるイギリスは、ついに積極的ボッチを解除、日英同盟(1902)、英仏協商(1904)、英露協商(1907)と高校入りたての陽キャのごとくお友達を増やしていきます。
ここで注目したいのは、露仏同盟、英仏協商、英露協商によってロシア、イギリス、フランスはみんな仲良しになったことです。この仲良しトライアングルを三国協商と呼びます。
そして事件は1914年6月28日、オーストリアの皇太子夫妻がセルビアの青年に暗殺(サラエボ事件)。ロシアがセルビアを支持したことで三国同盟VS三国協商を軸とした第一次世界大戦が勃発します。
境界線を持つ、ということ
森真一さんの著書「友だちは永遠じゃない」では境界線を引くことがアイデンティティーに深く結びつくことを指摘したうえで、大学生時代Dデパートでアルバイトをしていたエピソードが紹介されています。
売り上げ目標を数字で示しているのです。おもしろいのは、その数字とともに、「われわれDデパート紳士服売り場は、Sに絶対負けないぞ!」という感じの決意表明が書いてあるのです。(森真一著,「友だちは永遠じゃない」,筑摩書房,p106)
SとはDデパートの近くにあるSデパートを指します。「自分はDデパートの従業員である」という意識をもつことで、Sデパートに対して強い敵対心を持っていることが分かります。
これこそ戦争が激化した原因の一つだと思うのです。
昔の戦争は民族と民族の争いでした。目に見える範囲が仲間です。過去の記事でも紹介した通り、かつては宗教という同じ考えを共有ことで普段合わない人を仲間と思わせる工夫もなされてきました。それでも仲間と敵の境界線はぼやけているところもあり、規模もたかが知れています。
しかし、”国”という明確な境界線が生まれ、科学技術の発展によって遠く離れた人間も同じ仲間だと認識できるようになりました。
ここからは想像でしかありませんが、この状態で行われる戦争はもはや国の問題ではなく自分のアイデンティティにまつわる問題だったのだと思います。すなわち祖国の敗北=自分の崩壊。そこに毒ガスなどの兵器が加わればとんでもないことになるのは想像に難くありません。
明確な境界線と科学技術、この2つが悪い形で合致してしまったことこそ20世紀の戦争激化の原因だと思いました。
ゆるやかな境界線
”つながり”というのはときとして物凄い力をもちます。ですが、先ほど紹介した通り一歩間違えれば恐ろしいことになります。
さらに、そのつながりは強ければ強いほど、切れたときに大変なエネルギーが生まれます。「悔しさをバネに頑張りました!」というのはエネルギーの良い使い方ですが、経験上、大抵よくない方向に働きます。
だからこそ、あえて強いつながりを持たない、ゆるりゆるりとした繋がりを続けていくのはいかがでしょうか?
そういった関係のほうが案外長く続いたりするような気がします。
だから「私、友だちって呼べるような人いないの」という人はそのままでもいいんじゃないかと思ったりします。友達欲しいのは痛いほど分かりますが。
なんか道徳のような最後になってしまいました。
明日も見てくれると嬉しいです。
それでは
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