なぜ悪ガキは女子を追い掛け回すのか-心情のパラメータから考える
先日、普段話さないような人と話す機会があった。その人はマッサージ師をしていた。そのなかで驚いたのが「お客様のなかには腕を触ったりふとともを触ったりする人がいる」という話だった。
やらしいことをしたいのであればその手のお店にいけばよいはずなのに、わざわざお金を払ってマッサージ師にそやらしいことをする人がいる。
なぜなのか。勝手な考察を繰り広げてみる。
やらしい行為そのものが目的なのか
まず、1点目として考えなければならないのはマッサージ師に対し、みだらな行為を働く人(以後「やらしい人」と呼ぶ)の目的はみだらな欲を満たしたいというものなのかを考える必要がある。
本当ににみだらな欲を満たしたいのであれば、先ほど述べた通り、その手のお店が存在するのだから問題がないはずだ。もちろん、やらしい人の本性が「やらしいことをしたいがそんなお店に行く勇気のない人」であればそれまでだ。
しかし、話によるとやらしい人には謎の余裕があるという。
それならば、やらしい人の真の目的は別にあるのかもしれない。
こころのパラメータを考える
ここで、私が提唱したい考え方は「こころのパラメータ」から考えるというものだ。
こころのパラメータとは簡単に言えば恐怖50点、喜びマイナス20点といったように感情を数値化したものだと思っていただきたい。
個人的な解釈としてはこころのパラメータの数が多い人が豊かな感性を持つ人だ。喜怒哀楽はもちろんのこと多くのパラメータを所有している。
さて、ここで僕が考えたのはやらしい人というのはパラメータの数が極端に少ない場合に生まれるではないかということだ。
通常、マッサージをしてくれるひとにやらしいことをするとドン引きされる。この世の摂理だ。
そして、一般にドン引きされたいという人は少数派である。
しかしやらしい人はドン引きを目的にしているのではないだろうか。ドン引きには「関心」という要素が含まれる。
もちろん悪い意味での関心に違いはないが、関心は関心である。誠意や真心といったこころのパラメータが弱り、関心のパラメータだけやけに性能の良い人物、それこそがやらしい人の構造ではないだろうか。
女子を追い回す悪ガキ
考えてみれば、小学生のとき嫌がる女子を全速力で追い掛け回す友人がいた。はたから見れば恐怖でしかないが、このメカニズムのこころのパラメータで説明できる。
女子を追いかける男子小学生は女子に興味をもってほしいというパラメータが高性能かつ、人生経験の乏しさゆえ正攻法による興味の引き方をしらない。
それゆえ引き起こされた結果があの追いかけっこだったのではないだろうか。
もちろん、だからといってやらしい人を「小学生みたいで無邪気ですね」と擁護することはできないのだが。
目の前に到底理解できない行動をとる人がいたとき、その人に足りないこころのパラメータは何なのか、通常以上に高性能化したパラメータはなんなのか。そんなことを考えると対人関係の悩みはすこしばかり安らぐかもしれない。
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