中学校除籍 その12 義務教育を除籍になる
私は、今も時おり考えます。
私のように、生きていることが確認できているにも関わらず、義務教育を除籍扱いになっている人間はどれくらいいるのか?と。
試しに現在住んでいる市の教育委員会に問い合わせてみると、
「そういう例はちょっと聞いたことがありません」との答えでした。
その辺りの経緯を端折って紹介した動画を作りました。
よろしければご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=x2f3zl2Auks
プライバシー上、Bさんとしてありますが、私のことです。
私が札幌のアパートの押し入れの中で悶々としている頃、名古屋ではどういう状況になっていたか、後に叔母から聞いた話を書きます。
母が私を連れて失踪した当時、祖母は
「いつものことだ」
と割り切っていたようです。
しかし、いつまで経っても帰って来ない。
行方は杳として知れない。
学校には
「旅行に行っている」
「病気で療養のために知多半島にいる」
などと報告していたそうです。
しかし半年を過ぎると近所の見る目が
祖母を苦しめました。
あのお婆さんは、実の娘に捨てられて
一人取り残されて、孤独に生きている
そんな好奇の目が突き刺さるようになったそうです。
祖母は叔母に
「老人ホームにでも入ろうか」
と相談したようですが、いつ帰ってくるかわからないからもう少し待とうという話になりました。
しかし一年も経つと
近所の視線が、本来は祖母が持つ必要のない自責の念となって胸を苦しめました。
いつしか祖母は
「死にたい」とこぼすようになったそうです。
学校へは、相変わらず
「病気で療養」と告げていたそうですが、
「診断書を提出してほしい」と言われるようになりました。
もうごまかしは効かない。
叔母夫婦は、叔父の両親と同居しているため
祖母と一緒に住むことは出来ません。
そこで興信所を雇って、母と私の行方を捜したそうです。
母を勤め先のスナックまで送迎していたタクシーの運転手が同日にいなくなっている。
という情報を得た叔母は、運転手の家に尋ねていきました。
そこにも、共に住んでいた息子から捨てられた老夫婦がいました。
しかし、私の母と違い、おじさんは実家と連絡を取り合っていたのです。
相手との話の内容からそれを感じ取った叔母は、
祖母が母に手紙を書き、それを運転手の親に渡せば届けてくれるかも知れないと一縷の望みを抱きました。
その手紙は巡り巡って、札幌のアパートに届いたのです。
母は、その悲痛な心の叫びを綴った手紙を黙殺しました。
返事が帰ってこない以上、学校には本当のことを話すしかない。
祖母と叔母は担任の教師に事実を相談したのです。
そして、
私は、半年間行方がわからないという理由で
死者行方不明者扱い
となり、
校長の裁量にて、
中学校を除籍処分となりました。
「自分は娘に捨てられた。
孫は中学校を除籍になった」
そして近所からの好奇の目。
祖母は心を病んでしまい、寝込んでしまいました。
私は、名古屋でそんなことが起きているとは知らず、
札幌のアパートの押し入れの中で
祖母と同様に、心を病みかけていたのです。
※ここまでの私の人生を動画にまとめてみました。
https://www.youtube.com/watch?v=x2f3zl2Auks
編集が拙いこと。画像がAIが作ったものなので脈絡がないなど、いろいろ不満はあります。
時間的制約と動画としての展開などの理由により、簡略化した面や第三者目線で作ったことに不満もありますが、見ていただけると幸いです。
私が17歳で家を出てから、
来年3月までの長い物語については、こちらに続けて書いていきますので、よろしくお願いします。