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中学校除籍 その3(生きていない人の名簿に載っていた自分)

教育委員会の方の言葉の意味が
私にはわかりませんでした。
「除籍。とはどういう意味ですか?
退学とは違うのですか?」
と尋ねました。

「通常ですとあなたのおっしゃる通り、学校に一日も出席しなくても卒業扱いになります。
しかし、あなたの場合はですね。
当時の校長の一存で除籍扱いになっているので、書類上では入学していない形になっています。
これは極めて稀なケースなのですが、義務教育を除籍になる場合のほとんどが、
例えば太平洋戦争中に空襲にあって行方不明になったとか。名古屋でいちばん多いケースでは、1959年の伊勢湾台風の犠牲になり行方不明になってしまった方、などが除籍になっていますね。あなたはその人たちと同じ扱いなのです」
この冷酷な表現は、今でも頭の中にはっきりと焼き付いています。

私はいま生きている。
そして電話をして話している。
その相手に対して、75年前とか60年前に行方不明になった(つまり遺体が見つかっていない)人たちと同列に扱われていますよ
と、平気で告げてしまう教育委員会の人のむごさに頭がクラクラしてきました。

「私はいま生きている。電話しているのが証拠です。今からそちらに行って身分証明書を見せます。
除籍名簿から外して、元の学校の記録へ戻していただけませんか?」
私は強く訴えたけれど、

教育委員会といっても所詮公務員ですから特例とかそういったものを認めたくないのです。

「それは出来ないのです。当時の校長の一存で決めたことなので、他の人間にはそれを取り消すことが出来ないシステムになっています」
「でも、私は生きているんですよ!
太平洋戦争や伊勢湾台風の行方不明者って、もう亡くなっている人のリストじゃないですか!
いま生きている人間をそんなところに置いておくのはおかしくないですか。納得できません」

「いえ、どうしようもないんです」

これ以降は何を言っても無駄でした。
相手は
「どうしようもない」を延々と繰り返すだけ。

最後の望みで
「では、当時の校長に復権してもらえないでしょうか?」と問うと

「校長はもう退職しているので外部の人間です。現在の教育委員会内の名簿に手を加えることはできません」
最後通告でした。

私の気持ちは、もうこの時点では、卒業証書云々の話ではなくなっていました。
自分が公的機関の文書上
〇者・行方不明者扱いになっている。

この厳しすぎる現実。

まだ中学校中退のほうがマシだった。

「生きている人間をそんなリストに加えておいて、書き換えるすべがないなんて、そんなバカな話がありますか!」

と訴えても

「これ以上話しても何も進まないですよ」
という冷たい返事しか返ってこない。


私の意識は卒業証書をもらうということから
自分が、生きていることを証明することに変わっていました。

市の教育委員会がダメならば
県の教育委員会に電話をすることにしました。

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