【感想文】子どもの内なる世界とともにあること。
今日は、ちょっとまじめな話。
久しぶりにvoicyで苫野一徳さんの語りを聞いて、感化されてしまったかあちゃんです。
私、大学では教育心理学を専攻していて
なんだかんだ言葉の獲得や知識の獲得には
ぴかーん✨とアンテナ立っているのですが。
苫野さんが今回のvoicyで取り上げていた、
今井むつみさんが「学力喪失」という書籍で使っていたという、「生きた知識」と「死んだ知識」という言葉。
死んだ知識。
つまり 教科書に載っていて
「これ覚えないとテスト出るよ」
っていうやつ。
それが全部、無駄だとは思わない。
でも、ちゃーんと自分の生活の中で使ったり「あ、この公式覚えてたらゲームで勝てた!」(家の夫)
みたいな、あると便利な道具として使えないと
自分の人生で
自分の物語で
自分の生活で
その知識が登場しないと
すっぽーん
と頭から抜け出てしまう、よね?
私はそう。すっぽーん。すっぽーん。
でもさ、自分が好きで好きで
捕まえてきたカマキリが
(なんでカマキリ?かは置いておいて)
虫カゴの中で元気がなさそうにしていたら
あれ?カマキリってなに食べるの?
虫?草?水は飲むのかな?
うんちやおしっこは出てる?
運動は足りてるかな?
どんな環境が好きなのかな?
そもそもカマキリって夜は何してるの?
疑問はどんどん湧いてきて
きっといろいろ調べたくなる。
そして いつか同じようにカマキリを捕まえた友達に
いろいろ教えてあげられるようになるよね。
これがきっと「生きた知識」。
昔、コペルニクスが
宇宙がまわっているのではなく、地球がまわっているのだと発見したように。
私たちだって、子どもたちだって
自分の内なる世界を出発点にして
自分の人生で
自分の物語で
自分の生活で
自然に湧いてきた疑問を出発点にして
知識を獲得することができる。
それこそ
デューイが100年以上前に言っていた
本当の「教育」であり「学び」なのだろうと思う。
総合的な学習の時間。
きっと、その場が
公教育で「生きた知識」を得られる場となり得るもの。
もっともっと注目されて生かされていってほしい。
学校だけじゃない。
私も、家庭で
子どもの(もちろん私の、も)
なぜ?なに?どうして?を大切に
一緒に学び続けていきたい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺️💕